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王 維 の 『元二の安西に使するを送る』

中国の絶句
09 /07 2019
絶句編テキスト
2019年9月7日 絶句編 111ページ  

   元二の安西に使するを送る      王 維 
 
 渭城の 朝雨 軽塵を 浥す
 客舎 青々 柳色 新たなり
 君に 勧む 更に 尽せ 一杯の 酒を
 西のかた 陽関を 出ずれば 故人 無からん

   
 げんじのあんせいにつかいするをおくる   おう い
いじょうの ちょうう けいじんを うるおす
かくしゃ せいせい りゅうしょく あらたなり
きみに すすむ さらに つくせ いっぱいの さけを
にしのかた ようかんを いずれば こじん なからん

テキストの通釈によると、
渭城の町には朝の雨が降って、軽い塵ぼこりを
しっとりと濡らしている。旅館の前の柳は
洗われて、青々とした葉の色を見せている。
さあ、君、ここでもう一杯酒を飲みたまえ。
西の方、あの陽関を出てしまえば、もう共に
酒を酌みかわす友もいないだろうから
 
     ・・・とのことです。

先生のお話によると、
王維 は、699年、または701年に生まれ、61才で没。
701年生まれとすると21才で進士に合格。
故郷は山西省太原(たいげん)である。
王維は31才で妻を亡くし、初唐の宗之問から買い取った
広大な敷地の別荘・輞川荘で、隠棲していた時期があり、 
裴迪と唱和して『輞川20景』の詩を作っている

盛唐を代表する三大詩人のうち、
李白が詩仙、杜甫が詩聖、王維が詩仏と言われるが、
王維のお母さんが熱心な仏教徒で、その影響を受けている。  
また、王維は南画の祖でもあり、後に北宗の蘇東坡(蘇軾)が
王維のことを、詩中に画あり、画中に詩あり と 評している。   
 
元 二 : 元は姓、二は排行(はいこう)。排行とは、同姓の
   一族の中で同じ世代に属する者(兄弟やいとこ)が、
   生年順につける番号。一番上は『大』といい、
   以下、二、三・・・・・とつけていく。
安 西 : 安西都護府(とごふ)。
   今の新疆(しんきょう)省・吐魯蕃(とるふぁん)にあった。
渭 城 : 長安の渭水をはさんだ対岸の町。
   咸陽(かんよう・秦の時代の都)の別名。長安から西へ行く
   街道の最初の宿場となる。当時の人々は、前の日に
   ここまで見送りに来て、夜、宴会を開き、翌朝
   旅だつ人を送るのが、習わしであった。
軽 塵 : 軽い塵ぼこり。この辺りは黄土地帯で
   きわめて細かい塵ぼこりが立つのである。
客 舎 : 旅館。
青 々 : 柳の葉の色が青いこと。
柳色新 : 中国では、別れに際して柳の枝を手折って、
   はなむけにする習わしが古くからある。柳→留の
   音通によって「ひきとめる」の意を表す、とか、
   枝を環にするところから、環→還の音通によって
   早く「おかえり」の意を表すとかの説がある。
   つまり、柳は別れの象徴である。
陽 関 : 甘粛省敦煌県の西南130里にある関所。
   玉門関の南にあった。
故 人 : 親友。古くからの友人。 

     ★  ★  ★

★結句の『陽関を出ずれば故人無からん』を、
 中国では、≪陽関三畳≫を三回繰り返して詠い
 別れの歌として、日本の≪蛍の光≫に相当する。
 この詩は、その意味でも有名である。
★詩吟で詠う場合は、全詩を詠ってから
『無からん無からん、故人無からん、西のかた
 陽関を出ずらば故人無からん』と繰り返すようである
    ・・・ とのことです。


王 維 の 『九月九日山東の兄弟を憶う』  
王 維 の 『 雑 詩 』  
王 維 の 『 鹿 柴 』  
   



   

    【 中国の絶句 】
   孟 浩然 の 『 春 暁 』










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令和2年度 コンクール10句の模範吟

コンクール
08 /23 2019
来年の3月22日(日) 地域のコンクールがあります。
北多摩二区吟剣詩舞道連盟 《吟詠コンクール大会》です。

平成31(令和元)年度の指定吟題10句は
こちら でご覧いただけますが、

2019年8月23日 に、
令和2年度 コンクール指定吟10句の
松岡萠洲先生による模範吟がありました。

7015 320
『絶句編』と 『続絶句編』 約280句の中から

寒夜の即事       寂室元光 
かんやのそくじ     じゃくしつげんこう

赤間が関舟中の作       伊形霊雨
あかまがせきしゅうちゅうのさく     いがたれいう

立山を望む     国分青甲厓
たてやまをのぞむ    こくぶせいがい

易水送別     駱 賓王 
えきすいそうべつ    らくひんのう

楓橋夜泊     張 継 
ふうきょうやはく    ちょうけい

山 行      杜 牧
さんこう      と ぼく

桶狭間を過ぐ       大田錦城
おけはざまをすぐ     おおたきんじょう

八幡公       頼 山陽
はちまんこう      らい さんよう

九月九日山東の兄弟を憶う     王 維
くがつここのかさんとうのけいていをおもう    おう い

盧山の瀑布を望む     李 白     
ろざんのばくふをのぞむ      り はく




★私は、杜牧の 『 山 行 』 に しようかと思っていますが、
 また、他の句に変更したくなるかもしれません。




 

    【コンクール】
  地域のコンクール、五回目の参加






孟 浩然 の 『 春 暁 』

中国の絶句
08 /17 2019
絶句編テキスト
2019年8月17日 絶句編 110ページ  

   春 暁      孟 浩然 
 春眠 暁を 覚えず
 処処 啼鳥を 聞く
 夜来 風雨の 声
 花 落つること 知んぬ 多少ぞ

   
 しゅんぎょう   もう こうねん
しゅんみん あかつきを おぼえず
しょしょ ていちょうを きく
やらい ふううの こえ
はな おつること しんぬ たしょうぞ

テキストの通釈によると、
春の眠りは心地良く、うつらうつらと
夜の明けたのも気づかずに寝ている。
外ではあちこちに鳥の鳴く声が聞こえる。
夕べは風雨の音がしていたが、
庭の花はどれほど散ったことやら
 
     ・・・とのことです。

先生のお話によると、
孟 浩然(689‐740)は、盛唐の詩人。
湖北省襄陽(じょうよう)の鹿門山(ろくもんざん)に隠棲。
各地を放浪したこともあった。40才頃、長安に出て、
仕官しようとしたが、科挙の試験に合格していないため
上級官僚にはなれず、下級の役職に就いたが長続きせず、
江南地区を放浪し、また鹿門山に戻り、隠棲する。

孟 浩然の詩には、山水・田園風景を詠ったものが多く
自然詩人して広く知られ、特に五言絶句が得意であった。
王維・李白・張九齢らとも親しく交流があり、李白の詩に
『黄鶴樓にて孟浩然の広陵に之を送る』という作品がある。

春 眠 : 春の心地良い眠り。
不暁覚 : 朝になったのに気がつかない。
処処 : あちらこちら。いたるところ。
啼 鳥 : 鳥の啼く声。
夜 来 : 昨夜。「来」は助字で、この場合意味がない。
知多少 : どれほどか分らない。「多少」にはいろいろの意味があるが、
   ここでは疑問詞。多いか少ないか、どれほど?の意になる。
   「知」は疑問詞の上につくと「不知」(知らず)の意になる。

     ★  ★  ★

★ この詩は、作者の満ち足りたのどかな生活が感じられ、
  春を象徴したものとして広く知られている。
  また、起承転結の模範ともされる詩である。
   ・・・ とのことです。



   

    【 中国の絶句 】
   王 之渙 の 『涼州詞』










6回目の夏季温習会 律詩『 静御前 』

夏季温習会
08 /04 2019
令和元年度の夏季温習会が、練馬区の
『ホテルカデンツァ光が丘』でありました。
尺八伴奏は、五十嵐 明 先生です。

プログラムは、
  第一部 温習会
    開会のことば
    会詩合吟
    会長あいさつ
    宗家あいさつ
    会員吟詠


1、絶句一題
2、絶句一題
3、絶句一題
4、律詩 本能寺     頼 山陽
5、村 夜      白 居 易
6、立山を望む       国分 青厓
7、和歌入り律詩 静御前     頼 山陽
8、律詩 児島高徳桜樹に書するの図に題す   斉藤 監物
9、名古屋城      松口 月城
10、元二の安西に使いするを送る     王 維
11、武野の晴月      林 羅山
12、独り敬亭山に坐す      李 白
13、富 嶽       乃木 希典
14、時に憩う      良 寛
15、百人一首 第七十九首 秋風に   左京大夫顕輔
16、律詩 逸 題       橋本 左内
17、中 庸       元田 東野
18、律詩 赤馬が関懐古      菅 茶山
19、律詩 前兵児の謡       頼 山陽
20、百人一首 第三十六首 夏の夜は   清原深養父
21、和歌入り 母を奉じて嵐山に遊ぶ    頼 山陽
22、百人一首 第五首 奥山に     猿丸 太夫    
23、律詩 秋思の詩       菅原 道真
24、民謡吟詠 相馬の秋      瓜生田山桜

宗家講評と模範吟  松岡萠洲 先生
   六行詩と新体詩 『冑山の歌』      頼 山陽

 
  第二部 懇親会
   乾杯・宴会
   舞・淡墨桜(歌・テープ)
   舞・武田節(歌・テープ)
   閉会の言葉・手締め



     ◆  ◆  ◆


私は、入会して6回目の夏季温習会で、
7番目、和歌入り律詩 『静御前』 でした。

5回目は、 『春日山荘 』 有智子内親王 作
4回目は、 『奥羽道中』 榎本武揚 作  
3回目は、『西南の役陣中の作』 佐々 友房 作 
2回目は、『 雲 』   大窪 詩仏 作 
1回目は、『金鏤の衣』 杜秋娘 作 でした。





   【夏季温習会】
5回目の夏季温習会、律詩『春日山荘』
 


 



    

王 之渙 の 『 涼州詞 』

中国の絶句
07 /27 2019
絶句編テキスト
2019年7月27日 絶句編 109ページ  

   涼州詞      王 之渙 
 黄河 遠く 上る 白雲の 間
 一片の 孤城 万仭の 山
 羌笛 何ぞ 須いん 楊柳を 怨むを
 春光 度らず 玉門関

   
 りょうしゅうし   おう しかん
こうが とおく のぼる はくうんの かん
いっぺんの こじょう ばんじんの やま
きょうてき なんぞ もちいん ようりゅうを うらむを
しゅんこう わたらず ぎょくもんかん

テキストの通釈によると、
黄河をずっと遡って、はるか上流の
白雲のたなびく辺り、ぽつんと一つ、
砦が高い山の上に立っている。
折りから吹く羌族の笛の音は『折楊柳』の曲を
哀切に奏でているが、そんな笛は吹く必要はないぞ。
それを聞いても悲しくなんかない。なぜなら、
ここ玉門関までは春の光がやって来ないのだから。
(柳が芽吹くこともない。春の柳の芽吹くころの
 別れをうたう曲を吹いたって、こっちは関係ない)
 
     ・・・とのことです。

先生のお話によると、
王 之渙(688‐742)は、盛唐の詩人。
若い頃から酒を好み、侠気にあふれていたが、いつの頃からか
読書、勉学に励み、10年位で文人として知られるようになった。
一時役人をしたこともあったが、在野の詩人として活躍した。
王昌齢、高適(こうせき)と親しく、辺塞詩人として有名である。

涼州詞 : 唐代にできた『楽府(がふ)』の題名。
遠 上 : 黄河は崑崙山脈に源を発する。黄河の上流を
   西方へ遡って行くにつれて、地勢が高くなる。 
一 片 : いかにも危なげな、心細げな砦一つの意。
万 仭 : 一仭は8尺(約2m)。
   万仭は実数ではなく、非常に高いこと。   
羌 笛 : 羌族の吹く笛。羌族は中国西北地方にいる部族で、
   チベット系の遊牧民である。
何 須 : どうして~の必要があろうか、いやない。(反語)
楊 柳 : 『折楊柳』という曲のこと。別離の際、
   柳の枝を手折って、はなむけにする習わしがあることから、
   それを主題とした曲。つまり別れの曲である。
   楊は葉が上向き、柳は葉が下向きにしだれている。
 怨  : 『折楊柳』の曲を哀切に吹き鳴らすこと。
   それは聞く者を悲しませることになる。 
春光度 : 度は渡と同じ。西北の地は寒いので、
   春の光はこの玉門関までやって来ない。
   このため楊柳も芽吹かないの意。
玉門関 : 甘粛省敦煌県の西にある。
   唐代における最も遠い辺境の関所。

     ★  ★  ★

★ 起句、承句とがそれぞれ対句になっている。
    黄⇔白  一⇔万
  
★ 『楽府題』については こちら でも ご覧いただけますが、
  前漢7代の武帝は詩を愛して、各地の民謡を集め、
  楽譜をつけ、楽体、楽題ごと、朝廷に保管(楽府)した
   ・・・ とのことです。



   

    【 中国の絶句 】
   王 之渙 の 『鸛鵲楼に登る』










王 之渙 の 『鸛鵲楼に登る』

中国の絶句
06 /22 2019
絶句編テキスト
2019年6月22日 絶句編 108ページ  

   鸛鵲楼に登る      王 之渙 
 白日 山に 依って 尽き
 黄河 海に 入って 流る
 千里の 目を 窮めんと 欲し
 更に 上る 一層の 楼

   
 かんじゃくろうに のぼる   おう しかん
はくじつ やまに よって つき
こうが うみに いって ながる
せんりの めを きわめんと ほっし
さらに のぼる いっそうの ろう

テキストの通釈によると、
この鸛鵲楼から眺めると、いましも日は赤々と
黒い山並みの向うに沈み、目の下には
滔々たる黄河の流れが、北からこの地で
東へと曲り、海に注ぐ勢いで流れている。
この雄大な眺望を、さらに遠く千里の向うまでも
極めようと、もう一層上に登った
 
     ・・・とのことです。

先生のお話によると、
王 之渙(688‐742)は、盛唐の詩人。
若い頃から酒を好み、侠気にあふれていたが、いつの頃からか
読書、勉学に励み、10年位で文人として知られるようになった。
一時役人をしたこともあったが、在野の詩人として活躍した。
王昌齢、高適(こうせき)と親しく、辺塞詩人として有名である。

鸛鵲楼 : 山西省永済県の西南の城郭に立つ三層楼。
   鸛鵲(こうのとり)が、ここに巣を作ったことから
   名付けられたという。眼下に黄河を望む名勝で、
   詩人たちが多くここに遊んだ。
白日 : 太陽。 
依山尽 : 山並みに沿いながら沈んでゆく。
黄 河 : 長江(揚子江)と並ぶ中国の二大河川の一つ。
   上流の黄砂を含んで流れるので、黄河という。
   この楼のあたりで北から流れてきた黄河が、
   ほぼ直角に東に向きを変え、遠く渤海に注ぐ、   
入海流 : この楼から海が見える筈もないが、黄河の
   勢いの如何にも滔々たる様を形容したもの。
千里目 : 千里四方を見渡す眺望。
一層楼 : 楼の一階上。層は階のこと。 

     ★  ★  ★

★ 起句と承句との対句が一般的であるが、この詩は、
  転句、結句も対句となっている全対格である。
    白⇔黄  山⇔海  千⇔一
  
★ 中国の四大楼閣は
    鸛鵲楼(山西省永済県) 黄河のほとり
    岳陽楼(湖南省岳陽県) 洞庭湖のほとり
    黄鶴楼(湖北省武漢市) 長江のほとり
    膝王閣(とうおうかく)(江西省南昌) 鄱陽湖(はようこ)のほとり
   ・・・ とのことです。


  

   

    【 中国の絶句 】
   王 翰 の 『 涼州詞 』










王 翰 の 『 涼州詞 』

中国の絶句
05 /26 2019
絶句編テキスト
2019年1月19日 絶句編 107ページ  

   涼州詞      王 翰 
 葡萄の 美酒 夜光の 杯
 飲まんと 欲すれば 琵琶 馬上に 催す
 酔うて 沙場に 臥す 君 笑うこと 莫かれ
 古来 征戦 幾人か 回る

   
 りょうしゅうし   おう かん
ぶどうの びしゅ やこうの はい
のまんと ほっすれば びわ ばじょうに もよおす
ようて さじょうに ふす きみ わろうこと なかれ
こらい せいせん いくにんか かえる

テキストの通釈によると、
葡萄のうま酒を、夜光る白玉の杯に注いで、
飲もうとすると、誰か馬上で琵琶をかき鳴らす者がいる。
したたか飲んで酔いつぶれ、そのまま砂漠の上に
倒れ伏してしまったとしても、どうか笑わないでくれたまえ。
昔からこんな僻地に出征して何人が故郷に帰れたであろうか
 
     ・・・とのことです。

先生のお話によると、
王 翰(687‐726という説がある)は、初唐の詩人。
若い時から気性が激しく、自由奔放。
馬や美女を集めて、狩猟や宴会をしていた。

睿宗(えいそう)の時代、711年、進士に合格。
宰相・張説(ちょう えつ)に認められて中央官僚に任ぜられたが、
張説の失脚とともに汝州(河南省)刺史として左遷され、
最終的には、道州(湖南省)に流されて死去した。
晩年は不遇な生活であったと思われる。

涼州詞 : 涼州は唐の西北の国境にあり、
   今の甘粛(かんしゅく)省武威(ぶい)県。
   酒泉・敦煌・陽関・玉門関の外は西域諸国、
   シルクロードの世界である。領土を拡張し
   要路を確保しようとする中国と、隙さえあれば本土に
   侵入しようと構える胡(異民族)との紛争は耐えない。
   『涼州詞』は、こうした辺境の厳しさや、遠征の苦しさを
   主題とする唐代にできた辺塞(僻地にある砦)詩である。
葡萄美酒 : 西域産の葡萄酒。葡萄はギリシャから
   西域に伝わり、漢の武帝のころ中国に入った。 
夜光杯 : 西域に産する白玉製の杯。夜光を発するところから
   この名を得た。また今のガラスのコップとも考えられる。
琵 琶 : 西域の楽器。馬上で弾ずるものであった。   
 催  : 急き立てられるように弾く。
沙 場 : 砂漠地帯。
 君  : 広く読者に向かっていう。 
征 戦 : 戦争に行くこと。

     ★  ★  ★

★ 詞、行、引、曲、吟などの付く詩は、楽府題である。
★ 楽府題の「府」は音楽を司る役所のこと。
 前漢7代の武帝は詩を愛して、各地に伝わる民謡を集め、
 楽譜をつけ、楽体・楽題として整理し、朝廷に保管した。
 『涼州詞』もそれらのうちのひとつである
   ・・・ とのことです。



   

    【 中国の絶句 】
   張 九齢 の 『鏡に照らして白髪を見る』










張 九齢 の 『鏡に照らして白髪を見る』

中国の絶句
05 /19 2019
絶句編テキスト
2019年5月19日 絶句編 106ページ  

   鏡に照らして白髪を見る      張 九齢 
 宿昔 青雲の 志
 蹉跎たり 白髪の 年
 誰か 知らん 明鏡の 裏
 形影 自ら 相 憫れまんとは

   
 かがみにてらして はくはつをみる   ちょう きゅうれい
しゅくせき せいうんの こころざし
さたたり はくはつの とし
たれか しらん めいきょうの うち
けいえい みずから あい あわれまんとは

テキストの通釈によると、
昔は功名をあげて出世する大志を抱いていたが、
失敗して空しく時は過ぎ、白髪の生える年に
なってしまった。今、この明るい鏡の中に、自分と
鏡に映るもう一人の自分が、お互いにその白髪を
憐れみ合おうとは、思いもかけないことであった
 
     ・・・とのことです。

先生のお話によると、
張 九齢(678‐740)は、初唐の詩人・政治家。
30歳で進士に及第。宰相の張説(ちょうえつ)に
引き立てられ、中書舎人(皇帝が出す詔勅の起草を
行う役職)となり、その後、地方官を歴任した。

62歳で中書令(宰相職)となり、張説の後を継いで
玄宗皇帝の治世を助けたが、玄宗皇帝に取り入った
門閥官僚の李林甫(りりんぽ)に中傷され、
地方官(湖北省江陵の長官)で終えた。
67才、地方官(湖北省の長官)で最後を終える。

宿 昔 : 昔。少壮の頃をさす。
青雲志 : 功名を立て、出世する志。 
蹉 跎 : 「つまずく」というのが原義で、それから転じて
   人生行路につまずく、失敗して志を得ない、
   空しく時を過ごすの意となる。          
誰 知 : 誰が知ろうか、思いもかけないことである。反語。   
形 影 : 『形』は自分自身、実像。
   『影』は鏡に映る自分、虚像。

     ★  ★  ★

★ 青雲、白髪 : 対句となっている。
★ この詩は、自分の体験に当てはめたのではなく、
 ごく世の中一般的に考えての詩と言える。
 李白 作 『秋浦の歌』(絶句編P.123)に似ている
   ・・・ とのことです。


   

    【 中国の絶句 】
   沈 佺期 の 『 邙 山 』





6回目の総会 『常盤孤を抱くの図に題す』

総会温習会
04 /28 2019
絶句編テキスト
 『絶句編』 テキスト138ページ
2019年4月28日 総会温習会  

平成31年4月28日、
総会と、総会温習会がありました。

平成31年度 総会温習会のプログラムは、
1、涼 州 詞   王 翰
2、山亭夏日   高 駢
3、落 花   徳富 蘇峰
4、春を探る   戴 益
5、常盤孤を抱くの図に題す   梁川 星巌
6、楠公子に訣るるの図に題す   頼 山陽
7、落 花く  徳富 蘇峰
8、峨眉山月の歌   李 白
9、落 花   徳富 蘇峰  
10、辺 詞   張 敬 忠
11、春簾雨窓   頼 鴨厓
12、時に憩う   良 寛
13、落 花   徳富 蘇峰
14、海を望む   藤井 竹外
15、事に感ず   于 濆
16、中 庸   元田 東野
17、楠公子に訣るるの図に題す   頼 山陽
18、烏江亭に題す   杜 牧
19、富 嶽    乃木 希典
20、舟中子規を聞く   城野 静軒
21、絶 句    杜 甫
22、弘道館に梅花を賞す   徳川 景山
23、 雲     大窪 詩仏
24、春簾雨窓   頼 鴨厓

25、春 風  白居易   松岡萠洲 先生 模範吟 
     

    ◆    ◆    ◆
  

私は6回目の総会温集会で、5番 『常盤孤を抱くの図に題す』でした。

松岡萠洲先生より、五段の許状をいただきました。
ありがとうございます。





   【総会温習会】
  5回目の総会 『酔うて祝融峰を下る』






沈 佺期 の 『 邙 山 』

中国の絶句
04 /20 2019
絶句編テキスト
2019年4月20日 絶句編 105ページ  

   邙 山      沈 佺期 
 北邙 山上 墳塋を 列ぬ
 万古 千秋 洛城に 対す
 城中 日夕 歌鐘 起る
 山上 惟 聞く 松柏の 声

   
 ぼうざん    しん せんき
ほくぼう さんじょう ふんえいを つらぬ
ばんこ せんしゅう らくじょうに たいす
じょうちゅう にっせき かしょう おこる
さんじょう ただ きく しょうはくの こえ

テキストの通釈によると、
北邙山の上には、墳墓がたくさん並んでいる。
それは永遠に、洛陽の町と向き合っている。
町の中では夕方になると、歌舞や鐘鼓の音がにぎやかに響いてくるが、
山上からは、荒涼たる松柏の声だけが聞こえてくる。
 
     ・・・とのことです。

先生のお話によると、
沈 佺期(656?‐716?)は、初唐の文学者・詩人。
20才で進士に合格する。
則天武后に仕え、宮廷詩人として活躍したが、
武后失脚後、ベトナムに流された。
この時、杜甫の祖父である杜審言(としんげん)
も一緒にベトナムに流された。
その後、恩赦によって都に戻り、中宗の
宮廷詩人として杜審言と共に再び活躍する。
美しい詩を多く残し、59才で亡くなった。

邙 山 : 洛北の北邙山は黄土でできた平坦な山で、
   後漢以後、洛中の墳墓の地であった。
   ところどころに畑がまじり、孟津(もうしん)・
   偃師(えんし)・鞏(きょう)の県界にある。
墳 塋 : 墳は土をまるく盛り上げた土饅頭。
   塋は墓のめぐり。二語合わせて墓地の意。 
万古千秋 : 永遠に。          
日 夕 : 夕暮。   
歌 鐘 : 歌と伴奏の鐘。城中の宴楽のさまを、
   この二字に象徴した。
松 柏 : 天子の墳墓には松を植え、
   諸侯の墳墓には柏と半々に植えたという。

 この詩の見どころは、死者の世界と生者の世界の対比にある。
北邙山の墳塋は死者の世界、洛陽の町は生者の世界。
生者の世界では、歌や踊りと歓楽に酔いしれているが、
死者の世界はゴォーという松風の音。
町の人間は、いずれは皆、邙山に帰する。
それとは知らずつかの間の歓楽、邙山は永遠の静寂。
これほど巧みに無常観をうたう詩はないだろう。
人生のはかなさを風刺したものである
   ・・・ とのことです。




   

    【 中国の絶句 】
   王 勃 の 『 蜀中九日 』






 詩吟もえ子

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