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杜 秋娘 の 『金縷の衣』

中国の絶句
05 /16 2014
絶句編テキスト
 『絶句編』 テキスト144ページ
2014年5月16日   

  金縷の衣     杜 秋娘
君に 勧む 惜しむ 莫かれ 金縷の 衣
君に 勧む 須らく 惜しむべし 少年の 時
花 開いて 折るに 堪えなば 直ちに 須らく 折るべし
花 無きを 待って 空しく 枝を 折る 莫かれ


  きんるのい      としゅうじょう   
きみに すすむ おしむ なかれ きんるの い
きみに すすむ すべからく おしむべし しょうねんの とき
はな ひらいて おるに たえなば ただちに すべからく おるべし
はな なきを まって むなしく えだを おる なかれ


◆テキストの通釈によると、
 あなたにお勧めします。
 どうぞ、金糸で織った衣類など愛惜なさらないで。
 どうぞ、私の若く美しい時を惜しんで下さいませ。
 人生の花が開き手折り時になったら、すぐに手折って下さいませ。
 人生の花時を逸してから、無駄に枝を折ろうなどとなさいますな。

   ・・・とのことです。

絶句編・続絶句編280句の中で、女性の作はただ1句だけ・・・
どうして?! 中国でも女性は漢詩を作らなかったのでしょうか?

先生のお話と こちらこちら に よると、
 杜秋娘(としゅうじょう)は、生没年不詳。
 中唐期の女流詩人。金陵(江蘇省南京市)の妓女。
 名は秋、娘は女子の名に添える呼称。
 15歳で地方軍司令官である李錡(りき)の妾となるが、
 李錡は乱を起こし、鎮圧される。

 その後、杜秋娘は後宮に入って女官となり、憲宗に寵愛された。
 憲宗(けんそう)は、唐朝の第14代皇帝。順宗の長男。
 在位期間は、805年9月5日~ 820年2月14日
 憲宗は、さまざまな政策を実行し、衰退した唐は一時的な中興を見た。
 だが、長男の鄧王・李寧が19歳で早世すると、
 憲宗はその悲しみから仏教や道教に耽溺するようになり、
 法門寺の仏舎利を長安に奉迎することを計画するなど
 莫大な国費を費やして供養を行なった。
 また丹薬を乱用し宦官を虐待するという精神的異常をきたした。
 そのため、820年に宦官の王守澄や陳弘志らによって43歳で暗殺された。

 その後、穆宗(ぼくそう)が即位すると
 杜秋娘は、皇子漳汪の守り役を任されたが、
 831年、政変で皇子が廃せられた為、故郷に帰った。
 『金縷の衣』 は、李錡と生活していた時期に作られた。
 杜牧31才の時、年老いて金陵に戻ってきた杜秋娘に出会い、
 その数奇な境涯に深く感じ入って、「杜秋娘詩」を作った。

 ・・・とのこと。

寵愛されたという李錡は滅ぼされ、憲宗皇帝も暗殺された。
守役をつとめた皇子も政争の犠牲になり、罪に問われた・・・

杜秋娘の 『金縷の衣』 は、恋愛の詩だとしても
今の世のいろいろな場面でも生きているように思えます。
1200年も昔、唐の時代に生きた女性からのメッセージ

花 開いて 折るに 堪えなば 直ちに 須らく 折るべし
花 無きを 待って 空しく 枝を 折る 莫かれ

〇〇がないから出来ないとか、
もう年だから・・・とか、そんな風に考えないで
その時々に、やれる範囲で、やれる限りをやっていこう。
この詩には、そんな強い気持ち、いさぎよさが
こめられているように、私には思えます。







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