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榎本 武揚 の 『 奥羽道中 』

日本の絶句
12 /18 2015
続絶句編 250
  2015年12月18日  『続絶句編』 74ページ

   奥 羽 道 中     榎本 武揚
 鮮血 痕を 留む 旧戦袍
 壮図 一躓して 気 何ぞ 豪なる  
 松陰 涼は 動く 羽州の 道
 白雪 天に 懸って 鳥海 高し


  おううどうちゅう   えのもと たけあき
せんけつ あとを とどむ きゅう・せんぽう
そうと いっちして き なんぞ ごうなる 
しょういん りょうは うごく うしゅうの みち
はくせつ てんに かかって ちょうかい たかし


テキストの通釈によると、
囚われの身となった今では、すでに過去のものと
なった軍服に、赤い血の痕が生々しく付いている。
北海道に共和国を樹立せんとした雄図は
挫折したが、私の心は少しも挫けてはいない。
それどころか、むしろ意気は盛んである。
囚われて押送される夏の出羽路の、
しばし憩う松の木陰に、サッと涼しい風が吹く。
見上げれば、頂上の白雪が中天に懸かるかと見える
鳥海山が高く聳えている。

 ・・・とのことです。

◆先生のお話によると、
榎本武揚(1836~1908)は幕臣の子として江戸に生まれ、
11才で昌平坂学問所で学び、アメリカから帰国した
ジョン万次郎(中浜万次郎)に英語や洋学も習った。
18才のとき、箱館奉行に仕え、樺太(サハリン)を探険。
21才で長崎海軍伝習所に入り、
勝海舟らに軍艦の操縦や航海術などを学んだ。
1862年、26才でオランダに5年間、留学。
帰国後は幕府の海揚丸の館長となり、
翌年、海軍副総裁となり、その後、
蝦夷島総裁となった。
 
1868年、32才のとき、戊辰戦争が始まり、
旧幕府軍の敗走で軍艦開陽丸で函館に向かい
土方歳三らと五稜郭に立てこもった。
箱館に新しい国を作ろうと考え、選挙によって
総裁となったが、新政府軍の攻撃を受け、降伏。 
2年半ほど獄中にいたが、許され、開拓使長官
黒田清隆のもとで北海道開拓などに尽力した。
明治政府のもとで枢密顧問官なども務め、
育英黌(現在の東京農大)を開設。73才没。

この詩は、北海道に共和国を建設しようという
壮図が一躓、つまずいて、自分は囚われの身となり
羽州の道を移送されている時の心境を詠じている。

  ・・・とのことです。

★私は、榎本武揚のことは名前を聞いたことがある
くらいしか知りませんでしたが、暑い出羽路を
鳥かごのようなかごで、延々と江戸(東京)まで
運ばれていく姿や、手は縛られていたのだろうか、
沿道では好奇の目にもさらされ、どのような
心境だったのだろうかなどと思います。
それでも、松の木陰では涼しい風が運ばれ、
鳥海の頂に目をやっている作者の気持が
すがすがしく伝わってくるように思いました。


 

     【日本の絶句】
   佐々友房の 『西南の役陣中の作』     






    
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