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張 籍 の 『 秋 思 』

中国の絶句
08 /25 2017
続絶句編 250  
 2017年8月25日 続絶句編 146ページ

  秋 思   張 籍
 洛陽 城裏 秋風を 見る
 家書を 作らんと 欲して 意 万重
 復 恐る 怱々 説き 尽くさざるを 
 行人 発するに 臨んで 又 封を 開く


 しゅうし  ちょうせき
らくよう じょうり しゅうふうを みる
かしょを つくらんと ほっして い ばんちょう
また おそる そうそう とき つくさざるを
こうじん はっするに のぞんで また ふうを ひらく

◆テキストの通釈によると、
都 洛陽に逗留するうちに、いつか秋風が
吹きはじめ、木々の葉をひるがえす様子が見える。
郷里が恋しくなり、家への手紙を書こうと思うが、
積もる思いがあれこれ湧き起こる。
慌てて書いたので、言い落としは無いかと
また気がかりになって、ことづけをする旅人が
出発するとき、もう一度、封を開いて見直した。

    ・・・とのことです。

先生のお話によると、    
張 籍は、中唐の詩人。生没年は不明であるが、
799年、進士に合格している(34~35才か?)
ともに古文復興運動をした韓愈(かんゆ)の
推薦によって、国子博士から国子司業に至った。

洛 陽 : 唐の東都。当時、唐の首都は長安だった。
秋風見 : 西晋の張翰(ちょうかん)の故事。
   張翰は洛陽で宮仕えをしていたが、
   ある年のこと秋風が吹き始めたのを見て、
   故郷の呉(蘇州)を思い出し、官職を捨てて
   郷里に帰ってしまった。
家 書 : 家への手紙。
 意  : こころ。
万 重 : 思いがあれやこれやと重なること。     
怱 々 : あわただしいこと。
説不尽 : 言い残しがある。
行 人 : 手紙を託すべき旅人を言う

『秋思』は楽府題で、張籍は、同じく
楽府題である『涼州詞』も3題作っている
         ・・・とのことです。

    ◆  ◆  ◆

楽府題 とは、こちら に よると、
「楽府(がくふ)」とは、もともと漢の武帝の時代に
設けられた音楽の役所の名称である。
楽府では宮廷の祭祀に関わる歌を扱うほか、
民間歌謡を集めて風俗人事を知り、
政治に役立てるという職務もあった。
やがてそこで採用された民間の歌謡や
新しく作られた曲が「楽府(がふ)」と呼ばれるようになった。
楽府は最初の作者によって詩と主題と楽曲が決められ、
後世の人々はその主題と楽曲を踏襲しながら
同じ題でいわゆる「替え歌」を作った・・・
  ・・・とのことです。     




  【 中国の絶句 】
 張 継 の 『重ねて楓橋に宿す』







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良寛 の 『 半 夜 』

日本の絶句
08 /24 2017
絶句編テキスト

2017年8月24日 絶句編 46ページ  

   半 夜    良 寛 
 首を 回らせば 五十 有余年 
 人間の 是非は 一夢の 中
 山房 五月 黄梅の 雨
 半夜 蕭々として 虚窓に 灑ぐ
   
 はんや   りょうかん
こうべを めぐらせば ごじゅう ゆうよねん
じんかんの ぜひは いちむの うち
さんぼう ごがつ こうばいの あめ
はんや しょうしょうとして きょそうに そそぐ


テキストの通釈によると、
過ぎし五十余年の生涯を顧みるとき、
人間社会のことは自分一人のことに限らず、
是も非も、善も悪も、すべて夢の中の
ことのようにしか感じられない。
夜中にただひとり、この山の庵に座して
物思いにふけっていると、五月雨が、
さびしく窓に降り注ぐことである

   ・・・とのことです。

先生のお話によると、
半 夜 : よなか。夜半。   
首 回 : 過ぎし日々をふり返る。
一 夢 : 『一場の夢』と同じ。
山 房 : 山の庵。越後(新潟県)西蒲原郡
   国上山の五合庵をさす。47才で、諸国行脚の旅から
   故郷に帰って、13年間、ここに住んだ。
黄梅雨 : 五月雨に同じ。梅の実が黄色に
   熟すころに降る雨。
蕭 々 : ものさびしいこと。雨や木の葉が
   降り注ぎ、舞い散るさま。
虚 窓 : 誰もおらず、がらんとした部屋。
      ・・・とのことです。




    【 日本の絶句 】
   良寛 の 『時に憩う』






良寛 の 『時に憩う』

日本の絶句
08 /24 2017
絶句編テキスト

2017年8月24日 絶句編 45ページ  

    時に 憩う    良 寛 
 薪を 担うて 翠岑を 下る 
 翠岑 路は 平かならず
 時に 憩う 長松の 下
 静かに 聞く 春禽の 声
   
 ときに いこう   りょうかん
たきぎを にのうて すいしんを くだる
すいしん みちは たいらかならず
ときに いこう ちょうしょうの もと
しずかに きく しゅんきんの こえ


テキストの通釈によると、
少し欲張って、自分の体力としては
多い目の薪を背に、春の峰を下る。
目には美しい緑の峰であるが、馬の背のように
狭い路は、やけに凸凹している。薪の重みも、
肩にかけた細い縄を通して食い込む。
もう少し、もう少しと歩みながらも、丈高く
碧空にそびえる松の木にたどり着くと、
やはり自然と休んでしまう。
春とはいうものの、こう体中が
汗ばんでくると、松の木陰が好ましい。
肌に風を入れていると、どこからともなく鴬の声。
耳を澄ましていると、あたりの静けさが
ひときわ深く感じられる。

   ・・・とのことです。

先生のお話と、こちら によると、
良寛〔1758~1831)は、江戸時代後期の
曹洞宗の僧侶、歌人、漢詩人、書家。
俗名、山本栄蔵、幼名は文孝(ふみたか)

良寛は、越後国出雲崎に生まれた。
父はこの地区の名主であり、俳人でもあった
良寛は、父の後を継ぐため名主見習いを始めて
2年目の18才の時に、突如出家してしまい、
子供の頃に学んだ曹洞宗光照寺にて修行をする。

この頃、全国各地に米騒動が頻発していた。
越後にも、天災や悪疫が襲い、
凶作により餓死者を出した。
村人の争いを調停し、盗人の処刑に
立ち会わなければならなかった良寛には、
救いのない人間の哀れな世界に思えた。

両親の説得にも関わらず、
良寛は頑なに、寺での修行を続けた。

出家後、22才の時、玉島(岡山県倉敷市)の
円通寺の国仙和尚を"生涯の師"と定め、師事する。
円通寺の入門には、厳しい戒律があった。
経を学ぶことより、勤労に励むことを第一としていた。
「一日作らざる者は、一日食わず」
国仙和尚は、日を変え言葉を変えて良寛に説いた。
その教えは後の良寛の生き方に強い影響を与える。

良寛が修行した僧堂は、『良寛堂』として
今もその当時のまま残されている。
修行4年目の春、良寛は母の訃報に接する。
しかし帰郷は許されるはずもなく、
円通寺の修行は12年も重ねたが、この
修行時代を記すものはほとんど残っていない。

34才の時「好きなように旅をするが良い」と言い残し
世を去った国仙和尚の言葉を受け、諸国を巡り始めた。
父の訃報を受けても放浪の旅は続けた。
48才の時、越後・国上村(現燕市)国上山(くがみやま)
国上寺(こくじょうじ)の五合庵にて書を学ぶ。
五合庵は、一日五合の米があれば良い、と農家から
貰い受けたことからこの名が付けられた。
五合庵の良寛は何事にもとらわれず、
何者にも煩わせることもない、といった生活だった。

筍には居間を譲り、子供にせがまれれば、
日が落ちるまで鞠付きに興じるのだった。
良寛の歌に「この子らと 手鞠付きつつ遊ぶ春
   日はくれずともよし」と残している。
書は良寛にとって己が鬱勃たる心情の吐露だった。

五合庵での階段の昇り降りが辛くなり、
61才の時、乙子神社境内の草庵に居を構えた。
円熟期に達した良寛の書はこの時に生まれている。

70才の時、島崎村(現長岡市)の
木村元右衛門邸内にそれぞれ住んだ。
無欲恬淡な性格で、生涯、寺を持たず、
諸民に信頼され、良く教化に努めた。
良寛自身、難しい説法を民衆に対しては行わず、
自らの質素な生活を示す事や簡単な言葉(格言)
によって一般庶民に解りやすく仏法を説いた。

74才で亡くなった後、最期を看取った弟子の
貞心尼が、良寛の和歌を集め、
『蓮の露』にまとめて、世に出した。
新潟県長岡市(旧和島村)の隆泉寺に眠る。

    ◆ ◆ ◆

時に  : 良いタイミングで。時に逢う・・・など。   
 担 /strong> : になう。かつぐ。背負う。
翠 岑 : 『翠』はみどり。『岑』はみね。春の青々とした峰。
長 松 : 丈の高い松。
春 禽 : 春の鳥。越後地方のことであり、
   「静かに聞く」とあるから鴬であろう。

※ 良寛が小さいころに学んだ「光照寺」は、
  曹洞宗の寺で、全国にある。

     ・・・とのことです。




    【 日本の絶句 】
   菅 茶山 の 『冬夜書を読む』






張 継 の 『重ねて楓橋に宿す』

中国の絶句
08 /18 2017
続絶句編 250  
 2017年8月18日 続絶句編 145ページ

  重ねて 楓橋に 宿す   張 継
 白髪 重ねて 来る 一夢の 中
 青山 改まらず 旧時の 容
 烏 啼き 月 落つ 寒山寺
 枕を 攲てて 猶お 聴く 半夜の 鐘 


 かさねて ふうきょうに しゅくす  ちょうけい
はくはつ かさねて きたる いちむの うち
せいざん あらたまらず きゅうじの すがた
からす なき つき おつ かんざんじ
まくらを そばだてて なお きく はんやの かね

◆テキストの通釈によると、
しらが頭になって、再びこの地にやってきた。
夢の中にいるようだ。周囲の青い山は、
まったく昔のままの姿であった。
鳥が啼き、月が西に傾くころ、寒山寺から、
今夜も、夜半の鐘が響き渡って来たので、
枕をななめにして聴き入ったことである

    ・・・とのことです。

先生のお話によると、    
張 継は、中唐の詩人、高級官僚。
生没年は不明で、753年、進士に合格。
初めは節度使の幕僚、のちに塩鉄判官となった。
安史の乱にさいしては江南に逃れた。
770年、洪州(江西省南昌市)の地方官となり、
この地で没した。張 継が治めた地では、
公正な政治家だと評判が良かった。

張 継は、蘇州郊外で旅愁をうたった
『楓橋夜泊』一首だけで、有名になった。
『重ねて楓橋に宿す』は、『楓橋夜泊』の続編
と考えられるが、実は、北宗の詩人 孫仲益が
作った詩であるとも言われている。

    ◆  ◆  ◆

寒山寺 : 江蘇省蘇州の西郊七里、
   楓橋の近くにある寺院。楓橋寺ともいう。
   南北朝時代に梁武帝が創建した頃には
   ≪妙利普明塔院・みょうりふめいとういん≫という
   寺名だったが、唐の時代になり、詩僧である
   寒山拾得が住むようになって≪寒山寺≫となった。
   焼失をくり返し、現存する建物は、1991年
   清朝末に再建されたものである。
 猶  : そのうえに。
半 夜 : 夜中
     ・・・とのことです。
   
      



  【 中国の絶句 】
 韋 応物 の 『雁を聞く』







平成30年度 コンクール10句の模範吟

コンクール
08 /18 2017
来年の3月4日(日) 地域のコンクールがあります。
北多摩二区吟剣詩舞道連盟 《吟詠コンクール大会》です。

平成29年度の指定吟題10句は
こちら でご覧いただけますが、

2017年8月18日 に、
平成30年度 コンクール指定吟10句の
松岡萠洲先生による模範吟がありました。

7015 320
『絶句編』と 『続絶句編』 約280句の中から

九月十三夜陣中の作       上杉謙信 
くがつじゅうさんやじんちゅうのさく   うえすぎけんしん

半 夜     良 寛
はんや       りょうかん

新涼書を読む      菊池三渓
しんりょうしょをよむ     きくちさんけい

静夜思     李 白 
せいやし       りはく

折楊柳       楊 巨源 
せつようりゅう     ようきょげん

夜受降城に上って笛を聞く      李 益
よるじゅこうじょうにのぼってふえをきく    りえき

母を奉じて嵐山に遊ぶ       頼 山陽
ははをほうじてらんざんにあそぶ       らい さんよう

青葉の笛       松口月城
あおばのふえ      まつぐちげつじょう

重ねて楓橋に宿す        張 継
かさねてふうきょうにしゅくす      ちょうけい

雪 梅       方 岳
せつばい         ほうがく




私は 『青葉の笛』 に しようかと思っていますが、
また、他の句に変更したくなるかもしれません。

ふだんのお稽古では、毎回、新しい句を
教えていただいてますが、それと並行して、
これから半年近く練習していくことになる
吟題を選ぶのも楽しいことのひとつです。


 

    【コンクール】
  地域のコンクール、三回目の参加






 詩吟もえ子

お稽古に参加して六年目です。
皆さまもご一緒にいかがですか?