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梁川星巌 の 『常盤孤を抱くの図に題す』

日本の絶句
10 /31 2017
絶句編テキスト

2017年10月31日 絶句編 54ページ  

   常盤孤を抱くの図に題す    梁川 星巌 
雪は 笠檐に 灑いで 風 袂を 捲く 
呱々 乳を 覓むるは 若為の 情ぞ
他年 鉄枴 峰頭の 嶮
三軍を 叱咤するは 是れ 此の 声
   
 ときわこをいだくのずにだいす   やながわ せいがん
ゆきは りゅうえんに そそいで かぜ たもとを まく
ここ ちちを もとむるは いかんの じょうぞ
たねん てっかい ほうとうの けん
さんぐんを しったするは これ このこえ


テキストの通釈によると、
雪は絶え間なく、常盤の笠のひさしに降りそそぎ、
膚をつんざく寒風は、常盤の袂を巻き上げる。
(今若・乙若の手を引き、牛若を懐に抱いて、追っ手を
逃れてさまよう常盤の姿は見るも痛ましい。
牛若は空腹を訴えて)おぎゃあ おぎゃあと泣き叫びながら
乳房を探し求めているが、どんな気持ちでいるのか
わからないだけに、かえって不憫である。
やがて時移り(源氏は平家追討の軍を進め)
けわしい鉄枴峰上に立って、大音声を揚げ、
大軍を指揮して鵯越(ひよどりごえ)を一気に駆け下り、
たちまち平家の軍勢を打ち破った大将の
あの大音声こそ、寒風の中で乳を探し求めて
泣いているこの声に他ならないのである

     ・・・とのことです。

先生のお話によると、
梁川星巌が35~36才の頃、文政6年から7年にかけて
100日余の間、安芸(広島県)方面に旅をし、三原に
滞在した折、四条派の女流画家・玉葆(ぎょくほう)
が描いた図、常盤御前が7才・5歳の今若・乙若を伴い
1才の牛若を抱き、逃れて行く大和路(奈良県)における
雪中苦難のさまを描いた図を見て詠んだ詩である。

常 盤 : 九条院の雑仕(雑役、雑役婦)であったが、
   源 義朝の妾となり三児を生んだ。
   義朝は『平治の乱』に藤原信頼に味方して
   藤原信西・平 清盛と戦って敗死し、その子
   三男の頼朝は、伊豆に流された。
   常盤は難を逃れて三児の今若(当時7才)
   乙若(5才)の手を引き、牛若(1才)を抱いて
   大和(奈良県)竜門の里に隠れた。
   清盛は常盤の母を捕えて常盤の行方を追及した。
   常盤は母を救うため三児を連れて京都に赴き、
   母と三児の命乞いをした。時に常盤は23才であった。
   清盛はその容色に心を動かし、常盤を
   妾とする条件で、その願いを受入れた。
   常盤は、清盛の寵が衰えた後、藤原長成に嫁した。
笠 檐 : 編み笠のひさし。ふちの部分をいう。
呱 々 : 赤児の泣き声の形容。
若為情 : どんな心持なのか赤児のことなので、
   なにもわからないだろうにとの意。
他 年 : 後年。この時(永暦元年)から25年後の
   『一の谷の合戦』(寿永3年)の事をいう。
鉄枴峰 : 摂津(兵庫県)の六甲山に属する峰。
   義経が一の谷の平家の陣屋に奇襲をかけた時、
   「逆おとし」を試みた鵯越はこの峰にある。
三 軍 : 大軍。周の制度で12,500人を一軍といい、
   三軍は大諸侯の軍隊をいうが、転じて大軍の意に用いる。
   天子の軍は、六軍(りくぐん)で75,000人である
          ・・・ とのことです。


こちら からの転載によると、
星巌とその妻・紅蘭は又従兄妹にあたる。江戸から故郷に帰った星巌は、村の子供たちを集めて、「梨花村草舎」と称する塾の様なものを開いた。そこに通っていた中に紅蘭もいた(当時14歳)。紅蘭は星巌の才学、人となりを慕って、進んで妻になることを父に請うたと言われている。
星巌32歳、紅蘭17歳の年に結婚をする。ところが結婚後すぐに星巌は、「留守中に裁縫をすること、三体詩を暗誦すること」を命じて旅に出てしまう。それから3年後、帰ってきた星巌を迎えた紅蘭は、命ぜられた三体詩の暗誦をやってのけたばかりでなく、一首の詩を詠んでいる。
   階前栽芍薬。堂後蒔當歸。
   一花還一草。情緒兩依依。

 : きざはしの前には芍薬を植え、座敷のうしろには當歸をまきました(どちらも薬用植物だが、〈當歸〉は〈まさにかえるべし〉と訓読できるので、〈きっと帰ってくるだろう〉の意味がこめられている)。
花には私の姿をうつし、草には私の心を込めて。ああ、私の想いは、この花とこの草に離れたことはありませぬ。
星巌の放浪癖はその後も変わらなかったものの、これ以降は当時としては珍しく、妻を同伴して旅をするようになったという
    ・・・ とのことです。





    【 日本の絶句 】
   梁川星巌 の 『 芳野懐古 』






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梁川星巌 の 『 芳野懐古 』

日本の絶句
10 /31 2017
絶句編テキスト

2017年10月31日 絶句編 53ページ  

   芳野懐古    梁川 星巌 
今来 古往 事 茫々 
石馬 声 無く 抔土 荒る
春は 桜花に 入って 満山 白し
南朝の 天子 御魂 香し
   
 よしのかいこ   やながわ せいがん
こんらい こおう こと ぼうぼう
せきば こえ なく ほうど ある
はるは おうかに いって まんざん しろし
なんちょうの てんし ぎょこん かんばし


テキストの通釈によると、
ここ芳野山の塔ノ尾陵にきてみれば、
昔から今に至るまでのことは、
ぼんやりとしてまるで夢のようである。  
陵の前の石の馬はいななきもせず、
ひっそりとして荒れ果てたこの有様は、
まことにおいたわしい限りである。
ところで今は春、桜花の季節になったので
花の名所のこの山は、ことごとく真っ白で、
ほんとうに美しい。さぞかしここに眠りたもう
天子も、昨日今日は、この美しい景色に心を
慰めたまい、花の香を全身に浴びさせられ、
御魂も香しく匂っておられることであろう 

   ・・・とのことです。

先生のお話によると、
梁川 星巌(1789~1858)は、江戸時代後期の漢詩人。
美濃国安八郡曽根村(現在の岐阜県大垣市)の
郷士の家に生まれ、15才で江戸に遊学。
山本北山に師事し、国に帰って塾を開いた。
塾生の中に当時14才だった紅蘭がいて、
星巌32才、紅蘭17才で結婚した。
後に女流漢詩人となった紅蘭とともに全国を
周遊し、江戸に玉池吟社という塾を開いた。

吉田松陰や橋本左内らと交流があったため、
安政の大獄の捕縛対象者となったが、その直前
(大量逮捕開始の3日前)にコレラにより死亡した。
妻・紅蘭は捕らえられたが、翌年に釈放された。
出身地・大垣市曽根には梁川星巌記念館があり、
近くの曽根城公園に妻・紅蘭との銅像がある。

芳野懐古 : 春、桜花の季節に芳(吉)野の南朝の御陵で
   昔を追懐しての作。吉野山は桜で有名。
   漢詩を作るとき、吉野を芳野と当て字を使う。
   他の例として、江の島→絵の島 などがある。
今来古往 : 昔から今に至るまで。
   本来は、古往今来、古今往来。
茫 々 : ぼんやりとして遠いさま。
石 馬 : 中国で陵墓に立っている石造りの馬。
   わが国ではそうした風習はないが、中国の
   慣習にちなんで、こう表現した。
抔 土 : 手で掬うほどの土。転じて陵墓の意。
   ここでは後醍醐天皇の延元陵、塔ノ尾山陵という。
   如意輪寺内にある。
南朝天子 : 後醍醐天皇はじめ南朝の天皇。
   南朝は4代の天皇により60年余続いたが、
   足利3代将軍 義満の時に統一された
           ・・・ とのことです。





    【 日本の絶句 】
   広瀬淡窓 の 『桂林荘雑詠諸生に示す その二』






第2回  『吟と舞』 会員の集い

全朗協
10 /28 2017
平成29(2017)年10月28日(土) 9時半~15時
文京区民センターにて、全国朗吟文化協会主催による
第2回 『吟と舞』 会員の集い が ありました。

この会は、6月に行なわれている 『吟と舞の集い』 に
参加していない会員や、全朗協に加入して日が浅い
会員にも、気軽に日頃の練習の成果を発表し、
親睦を深めていただこうと昨年から企画された
2回目の会員の集いです。

     ♪ ♪ ♪

合吟、独吟、剣詩舞、歌謡吟詠など81番までのうち、
わが吟詠萠洲流からは、
  7番、九月十三夜陣中の作
 13番、折 楊 柳
 20番、九月十三夜陣中の作
 26番、新涼書を読む
 32番、母を奉じて嵐山に遊ぶ
 34番、時に憩う
 39番、静 夜 思
 50番、中秋の月
 54番、八陣の図
 60番、重ねて楓橋に宿す
 64番、新涼書を読む
 66番、雪 梅
 67番、重ねて楓橋に宿す
 69番、南部牛追唄(吟と民謡)
 79番、秋 思   松岡萠洲先生
   以上、15名が参加しました。

     ♪ ♪ ♪ 

私は 13番、折 楊 柳でしたが、大失敗をしてしまいました。
出場する前、並んでいる時におしゃべりをしたりしていて
前の前の人が出番になった時、詩文を思い返そうと
したのですが、スムーズに出てきませんでした。
前の人が吟じ始めた時、私も自分の詩文を
頭の中で追っていきましたが、転句の二節目が
どうしても思い出せないのに出番になってしまい、
名前を呼ばれ、気が重いままに出て行きました。
吟じているうちに思い出せるかと思いましたが、
思い出せなかったので、やむなく、その言葉を
抜かして、数秒おいて次の詩文から続けました。
この日は練習用のコピーを忘れてきてしまい、
朝から詩文を一度も見ていなかったのです。
吟じながら忘れてしまったのなら分かりますが、
言葉を思い出せないままに、名前を呼ばれて
マイクの前に立つというのも複雑な心境で、
良い勉強になったことでした。

     ♪ ♪ ♪

会員発表のあと、同じ会場で懇親会がありました。
開会のことばと、懇親会初めの挨拶を
わが師匠・松岡萠洲先生がされていました。    

ひとり3000円の参加費の中から、会場費などの他
お弁当と飲み物が出て、懇親会の茶菓も用意され、
準備して下さった方々のご苦労は大変だったことでしょう。
先生を始め、役員の皆さま、ありがとうございました。

 

      【全朗協】
  第57回 全朗協 『吟と舞の集い』










宇 武陵 の 『 酒を勧む 』

中国の絶句
10 /27 2017
続絶句編 250  
 2017年10月27日 続絶句編 154ページ

  酒を 勧む   宇 武陵
 君に 勧む 金屈巵
 満酌 辞するを 須いず
 花 開いて 風雨 多し
 人生 別離 足る


 さけを すすむ     う ぶりょう
きみに すすむ きんくっし
まんしゃく じするを もちいず
はな ひらいて ふうう おおし
じんせい べつり たる

◆テキストの通釈によると、
君に勧める黄金の杯、なみなみと注がれた
酒を差し上げるが、どうぞ遠慮などしたもうな。
花が咲いたら、風や雨が多いのが世のならい、
人の生涯には、別離がつきものだ。

    ・・・とのことです。

先生のお話によると、    
于 武陵(810~ ?)は、晩唐の詩人。本名は鄴(ぎょう)
進士科に合格したが、官職になじめず、
13年?ほどで官を辞し、書物と
琴を友として諸国を漫遊した。

諸国を放浪している間に、洞庭湖付近の風物
湘江を愛し、定住したいと希望したが果たせず、
晩年、嵩山(すうざん)の南に隠棲し、ここで亡くなった。
★ 嵩山は洛陽の近くで、世界遺産にもなっている。

★ 酒を勧めて人生の無常を達観した詩で、
  『月にむら(叢)雲・花に風』
  『会うは別れの初め』
  『会者定離(えしゃじょうり)』といった
  多くの人生を語る言葉がある。

今、『于武陵集』一巻が残っていて、『勧酒』が載っている。

         

金屈巵 : 黄金製の美しい酒杯。
   『巵』はさかずき。把手の付いたもので、
   贅沢な酒器をいう。
満 酌 : なみなみと酒杯に注がれた酒。
不 須 : ~する必要がない。~しなさるな。
 発  : ひらく。 = 開く
 足  : たっぷりあること
            ・・・とのことです。    




  【 中国の絶句 】
 杜 牧 の 『 清 明 』







広瀬淡窓 の 『桂林荘雑詠諸生に示す その二』

日本の絶句
10 /23 2017
絶句編テキスト

2017年10月23日 絶句編 52ページ  

   桂林荘雑詠諸生に示す その二    広瀬 淡窓 
遥かに 思う 白髪 門に 倚るの 情 
宦学 三年 業 未だ 成らず
一夜 秋風 老樹を 揺がし
孤窓 枕を 欹てて 客心 驚く
   
 けいりんそう ざつえい しょせいに しめす そのに   ひろせ たんそう
はるかに おもう はくはつ もんに よるの じょう
かんがく さんねん ぎょう いまだ ならず
いちや しゅうふう ろうじゅを ゆるがし
こそう まくらを そばだてて かくしん おどろく


テキストの通釈によると、
遠い故郷では、白髪となった両親が我が子の帰りを
一日千秋の思いで待ち侘びておられることであろう。
それなのにこちらでは学は進まず、いたずらに月日の
経つ事ばかり早く、この塾に在学して既に三年。
他郷にある身は、今夜、寝もやらず、悲しい秋風が
吹き荒れ、窓外の老木の枝を揺るがしている。
耳をすましていると、にわかに老いた両親のことが
気にかかり、努力して一日も早く業を終えて帰り、
お達者なうちに孝行を尽くしたいという
気持ちがしきりに起こるのである   

   ・・・とのことです。

先生のお話によると、
白 髪 : 白髪の老母、または両親。
門 倚 : 老母・両親が、他郷にいるわが子の
   帰りを待ち侘びること。
宦 学 : 遊学すること。官学に同じ。
揺老樹 : 嵐が古木を吹き揺るがすというのが
   表面の意味であるが、老年の両親のことに例えており、
   親を養おうとするときは親はすでになく、孝養の
   できないという成語(故事・ことわざ)を踏まえている。
孤 窓 : ひとり寝の窓。
欹 枕 : 枕に頭をつけて、寝たまま耳をそばだてる。
客心驚 : 旅にあるものの心は、心細く、
   ものに対して衝撃をうけやすい     
                ・・・ とのことです。





    【 日本の絶句 】
   広瀬淡窓 の 『桂林荘雑詠諸生に示す その一』






 詩吟もえ子

お稽古に参加して六年目です。
皆さまもご一緒にいかがですか?