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戴 益 の 『 春を 探る 』

中国の絶句
12 /22 2017
続絶句編 250  
 2017年12月22日 続絶句編 161ページ

  春を 探る   戴 益
 尽日 春を 尋ねて 春を 見ず
 杖蔾 踏破す 幾重の 雲
 帰来 試みに 梅梢を 把って 看れば
 春は 枝頭に 在って 已に 十分


 はるを さぐる     たい えき
じんじつ はるを たずねて はるを みず
じょうれい とうはす いくちょうの くも
きらい こころみに ばいしょうを とって みれば
はるは しとうに あって すでに じゅうぶん

◆テキストの通釈によると、
一日中、春はどこかと尋ね歩いたが、
春景色には会わなかった。あかざの杖をついて、
幾重にも重なる雲を見ながら歩き尽くした。
帰ってから、ちょっと庭の梅の枝を手にとって見ると、
なんともはや、枝先の蕾がふくらんでいて、
春の気配を十分に感じることが出来た

    ・・・とのことです。

先生のお話によると、    
戴益については、宋代の人であること以外いっさい不明。
この一首が残されているのみである。

尽 日 : いちにちじゅう。
杖 蔾 : 藜(あかざ科の一年生の草木)の茎で作った老人用の杖。
踏 破 : 歩きぬくこと。≪破≫は強調の助字。
帰 来 : 帰って来ると。≪来≫は助字で、
   動詞のあとについて、~するとの意を表す。
       
         

★ 宋代は禅が盛んであった。 多くの禅僧が
 渡来しているから、禅宗的に解釈してみると、
 「真理(悟り)を探求して迷いに迷っても、
 どこに行ったら真理を見つけられるかは判らない。
 真理というものは、日常の生活の中にあるものである」
 とするのが判りよい。

★ メーテルリンクの童話にあったチルチルとミチルの
 「青い鳥」のように、真理は遠くにあるのではなく、
 最も手近な自分の心の中にあるのだ
       ・・・とのことです。





     【 中国の絶句 】
  杜 筍鶴 の 『夏日悟空上人の院に題するの詩』







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杜 筍鶴 の 『夏日悟空上人の院に題するの詩』

中国の絶句
12 /15 2017
続絶句編 250  
 2017年12月15日 続絶句編 160ページ

  夏日 悟空上人の 院に 題するの 詩   杜 筍鶴
 三伏 門を 閉じて 一衲を 披く
 兼ねて 松竹の 房廊を 蔭う 無し
 安禅は 必ずしも 山水を 須いず
 心頭を 滅却すれば 火も 亦 凉し


 かじつ ごくうしょうにんの いんに だいするの し     と じゅんかく
さんぷく もんを とじて いちのうを ひらく
かねて しょうちくの ぼうろうを おおう なし
あんぜんは かならずしも さんすいを もちいず
しんとうを めっきゃくすれば ひも また すずし

◆テキストの通釈によると、
暑さのはなはだしい三伏の時節、山門を閉じ、僧衣を着る。
それに、住まいを覆ってくれる松や竹の樹木もない。
だが、夏安居(げあんご)して修業を積むには、
必ずしも山水の環境を必要としない。
心中から暑いという雑念を払い去れば、
火中にあっても涼しさを感じるものだ

    ・・・とのことです。

先生のお話によると、    
杜 筍鶴(846~904) は、晩唐の詩人で58才で没。
杜牧の末子(微子)。風流人で琴を弾き、酒を好んだ。
後梁を建国した 朱 全忠に可愛がられ、翰林学士などになった。

 院  : 僧侶の住むところ。
三 伏 : 夏至の後の三番目の庚(こう・かのえ)の日を初伏(しょふく)
   四番目の庚の日を中伏(ちゅうふく)、
   立秋後の最初の庚の日を末伏(まっぷく)という。
   この時期は一年中で最も暑い。
 ★火剋金(かこくきん) 夏=凶 を 防ぐ・沈める
   庚(かのえ)は「金の兄」で金性であり、金は火に伏せられること
   (火剋金:火は金属を溶かしてしまう)から
   火性の最も盛んな夏の時期の庚の日は凶であるとする。
   そこで、夏の間の庚の日を三伏とする。
一 衲 : 僧衣。
 披  : 着る。
房 廊 : 部屋と廊下。
安 禅 : 座禅。夏に行う座禅のことを、
   夏安居(げあんご)とか、坐夏(ざげ)などという。
心 頭 : こころ。 
       
         

心頭 滅却すれば 火も 亦た 凉し
   織田信長が甲州を攻め、恵林寺(えりんじ)を
   焼いた時、快川和尚が火の中に立ち、
   この詩を唱えながら亡くなっていった。
   今も、この詩が恵林寺の表に書かれている。




     【 中国の絶句 】
  曹 松 の 『 己亥の歳 』







曹 松 の 『 己亥の歳 』

中国の絶句
12 /08 2017
続絶句編 250  
 2017年12月8日 続絶句編 159ページ

  己亥の 歳   曹 松
 沢国の 江山 戦図に 入る
 生民 何の 計あってか 樵蘇を 楽しまん
 君に 憑って 話す 莫かれ 封侯の 事
 一将 功 成って 万骨 枯る


 きがいの とし     そう しょう
たくこくの こうざん せんとに いる
せいみん なんの けいあってか しょうそを たのしまん
きみに よって はなす なかれ ほうこうの こと
いっしょう こう なって ばんこつ かる

◆テキストの通釈によると、
この江淮(こうわい)一帯の山や川は、戦乱のために
すっかり荒れてしまった。人々は、どんな
手立てがあって日常の生計を営むことができよう。
どうぞ、あなたにお願いします。戦場で手柄を
たてて、出世しようなどと言わないで下さい。
一人の将軍が戦功を立てる時、数多くの兵卒の
骨が戦場に散って枯れていくのですから・・・

    ・・・とのことです。

先生のお話によると、    
曹 松 は、生没年ははっきりしない晩唐の詩人。
山の中での隠遁生活も送り、
70才を過ぎてから進士に合格。
そのあと、すぐ亡くなったようだ。
校書部(文書を調べる係)を務めた記録はある。
この詩では民衆の苦しみを訴えている。

★黄巣の乱を詠んだ『己亥の歳』は、
  結句 「一将功成りて万骨枯る
   (一人の将軍が功名を成した陰には
     万人の兵士たちの犠牲がある)
   で広く知られ、戦争の空しさ、愚かさを
   示す警句として使われている。

己亥歳 : 乾符6年(879)に当り、この前年には
   ≪黄巣の乱≫が起こり、四川・湖南・湖北・安徽・江蘇
   などの各省は大混乱に陥り、唐王朝の滅亡につながった。
   『己』は、つちのと。『亥』は、い。
   十干十二支により60年毎に回ってくる。
沢 国 : 水の豊かなところをさす。ここでは
   江淮地方(長江下流と淮河(わいが)流域)をさす。
戦 図 : 戦争の行われている地域。
   西安市の東郊、驪山(りざん)の北麓にある。
   兵馬俑(等身大)が発見される。
生 民 : 人民。民衆。
何 計 : どんな手立てがあろう、何もない、という反語。
樵 蘇 : 生活のための営み。
   『樵』は木こり、『蘇』は草刈り。
 憑  : 頼りにする。お願いする。 
封 侯 : 戦争で手柄をたてて大名に取り立てられること。
万 骨 : 多くの兵の死。
       
         

≪黄巣の乱≫について こちら によると、
★ 唐末の875年に起こった、塩の密売人黄巣らを指導者とする農民反乱。884年に鎮圧されたが、唐は急速に衰退する。

★ 黄巣の乱は10年近くにわたり中国全土を巻き込んだ大乱となって、884年に鎮圧されたが、唐王朝がそれで滅亡したわけではない。その後も20年以上続くが、その間は乱を鎮圧する軍事力となったトルコ系の李克用と、頭角を現して節度使となった朱全忠との間で激しく抗争し、動揺が続いた。次第に唐朝の実権を握った朱全忠は、皇帝昭宗を殺害、さらにその子で唐朝最後の皇帝哀帝から禅譲を受ける形で皇帝となり、907年に唐に代わって後梁を建国することとなる。こうして290年、20代に及んだ唐の滅亡をもたらし、五代十国の分裂期に入るきっかけとなった
       ・・・とのことです。    





     【 中国の絶句 】
  荊 叔 の 『慈恩塔に題す』







荊 叔 の 『慈恩塔に題す』

中国の絶句
12 /01 2017
続絶句編 250  
 2017年12月1日 続絶句編 158ページ

  慈恩塔に題す   荊 叔
 漢国 山河 在り
 秦陵 草樹 深し
 暮雲 千里の 色
 処として 心を 傷ましめざるは 無し


 じおんとうに だいす     けい しゅく
かんこく さんが あり
しんりょう そうじゅ ふかし
ぼうん せんりの いろ
ところとして こころを いたましめざるは なし

◆テキストの通釈によると、
大雁塔(だいがんとう)に上ってあたりを見渡せば、
ここはかって漢の国都があったところ、
山や河は昔のままに残っている。
秦の始皇帝の陵墓は遥か東方にあり、
草や木が生い茂っている。夕暮れ時の雲は、
千里の果てまでも覆い、どこもかしこも、
心を悲しませないところはない

    ・・・とのことです。

先生のお話によると、    
荊 叔 は、生没年不明、晩唐の詩人と思われる。
この詩の内容から晩唐の詩人と推測され、
この一首しかない。これ以上のことは分からない。

慈恩塔 : 長安(現在の西安市)の南にある慈恩寺の境内に、
   今も残る七層の仏塔。大雁塔のことで、高さは約70m。
   三蔵法師(玄奘)がインドから仏典を持ち帰り、
   その仏典を保存するために建てられた塔。
   慈恩寺は、太宗の時代・貞観12年(648)に
   唐の三代皇帝・高宗が太子のとき、亡くなった
   生母・文徳皇后のために建てた寺である。
漢 国 : 長安のあたりをさす。唐代の詩人は、唐王朝を
   はばかる時は「唐」を「漢」に置き換え、
   歴史上のこととして詠む風習があった。
秦 陵 : 秦の始皇帝の陵墓。
   西安市の東郊、驪山(りざん)の北麓にある。
   兵馬俑(等身大)が発見される。
千里色 : 果てしなく空を覆う雲の色。
           
         

杜甫の『春望』を元にして真似て作った詩(本歌取り)
   晩唐の時世を嘆いている。
   人の営みのはかなさと、変わることのない
   自然の営みとを比べている  
            ・・・とのことです。    



  【 中国の絶句 】
 汪 遵 の 『 長 城 』







 詩吟もえ子

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