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王 昌齢 の 『 従軍行 』

中国の絶句
12 /21 2019
絶句編テキスト
2019年12月21日 絶句編 114ページ  

   従軍行       王 昌齢 
 
 秦時の 明月 漢時の 関
 万里 長征して 人 未だ 還らず
 但 竜城の 飛将をして 在らしめば
 胡馬をして 陰山を 度らしめず

   
 じゅうぐんこうおう しょうれい
しんじの めいげつ かんじの かん
ばんり ちょうせいして ひと いまだ かえらず
ただ りゅうじょうの ひしょうをして あらしめば
こばをして いんざんを わたらしめず

テキストの通釈によると、
秦のころにも照っていた明月、漢の時代から
置かれていた関所、今も昔と変りがない。
万里も遠く長征してまだ帰れない。ただ竜城の
飛将軍とうたわれた、かの李将軍がいたならば、
胡(えびす:異民族)の馬に陰山を
渡らせるような事はさせないものを
 
     ・・・とのことです。

先生のお話によると、
王 昌齢(698~755)は、727年に進士となり、秘書省の校書郎から
汜水の県尉(警察官)となったが、奔放な生活ぶりで
江寧(こうそしょう:現在の江蘇省)の丞から竜標の尉に左遷された。
その後、安禄山の乱の時に官を辞して故郷(南京)に帰るが、
58才位で閭丘暁(りょきゅうぎょう)に憎まれて殺された。

竜 城 : モンゴル地方を中心にしていた匈奴の地名。
   ゴビ砂漠と万里の長城との間にある陰山山脈の
   向こうにあり、塔未爾(タミール)河のほとりにある。
   地名のいわれは、竜神を信じる匈奴たちが
   五月に大集会をする地だからだという。
   今は、内蒙古自治区に属する地。
飛 将 : 前漢の李広将軍のこと。騎射の名手だったので、
   匈奴にこう呼ばれた。『史記』の李将軍列伝に
   「広、右北平に居る。匈奴之を聞き、号して飛将軍と日(い)い、
   之を避く、数歳敢て右北平に入らず」と匈奴に恐れられた名将。
陰 山 : 山西省の北方から内蒙古に広がる山脈。
   万里の長城とゴビ砂漠にはさまれた位置にある。
   漢と匈奴の国境の役割をした。
 
     ★  ★  ★

★秦は20年ほど、漢は400年ほど続いた。
★王 昌齢は、役人としては出世しなかったが、
 宮詩、辺塞詩、送別詩などに優れていた。
★この詩は、出征兵士の苦しみを詠った楽府題である。
 王 昌齢には戦争の経験はないが、『従軍行』は
 7首あって、この詩はその4である。
★漢の武帝の時代に始まった楽府題は、唐の時代になると
 新楽府題と言われ、やや趣を変えてきている
     ・・・ とのことです。



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