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夏目漱石 の 『 春日偶成 』

日本の絶句
02 /14 2020
絶句編テキスト

2020年2月14日 絶句編 97ページ  

   春日偶成    夏目漱石 
 道う 莫かれ 風塵に 老ゆと
 軒に 当れば 野趣 新たなり
 竹 深うして 鶯 乱れ 囀り
 清昼 臥して 春を 聴く
   
 しゅんじつぐうせい   なつめそうせき
いう なかれ ふうじんに おゆと
けんに あたれば やしゅ あらたなり
たけ ふこうして うぐいす みだれ さえずり
せいちゅう がして はるを きく


テキストの通釈によると、
俗世間の煩雑さの中で、いたずらに老いてゆく
ことが嘆かれる、などと言ってはいけない。
胸中の閑日月を抱いて過ごしたまえ。
まあ我が家の縁側からの、この春の風情はどうであろう。
健康で素朴な自然の新鮮さがいっぱいに溢れているではないか。
さて、竹も勢いよく伸び、深々と茂り
 (ちょっと王維の詩の世界のようで)
おまけに鶯があちこち鳴くのが聞こえてくる。
どれ、ゴロリと横になって、この勿体ないほど閑雅な真昼間、
しみじみと鶯の声を聞きながら、春の情趣を味わおう。
 ( ※ 閑日月とは物事にこせこせしない余裕を持って)
 
     ・・・とのことです。

先生のお話によると、
夏目漱石(1867~1916)は、明治から大正にかけての英文学者。
本名は、夏目 金之助(なつめ きんのすけ)。江戸生まれ。
大学時代に正岡子規と出会い、俳句を学んだ。
帝国大学(のちの東京帝国大学、現在の東京大学)を
卒業後、松山の尋常中学校、熊本五校などで
英語を教え、その後、イギリスに留学。
帰国して一高(東京帝大)で教鞭をとりながら
1905年(明治38)『我輩は猫である』、その翌年
1906年『坊ちゃん』などを書き、評判となった。
その後、朝日新聞に入社し、『三四郎』『それから』
『門』『彼岸過ぎまで』『行人』『心』などを著した。

1910年(明治43)、『門』を執筆の途中で
胃潰瘍を患い入院。その後、伊豆の修善寺で
転地療養するが、そこで大吐血を起こし、危篤状態
となり生死をさ迷う(いわゆる「修善寺の大患」)。
その後も神経衰弱、胃潰瘍などに悩まされ続け、
『明暗』を未完のまま、大正5年、50才で死去した。

1889年(明治22)、正岡子規の漢詩や俳句などの
文集に漱石が批評を書いたことから友情が始まった。
漱石が漢文でしたためた房総半島の旅紀行を見て
子規は漱石の優れた漢文、漢詩に驚いたという。
子規との交流は漱石がイギリス留学中の
1902年〈明治35〉に子規が没するまで続いた。
「漱石」は、子規のペンネームの一つであったものを
漱石が子規から譲り受けたものである。

       ★ ★ ★

 道  : 云と同義。動詞。物を見る、言うと同じ。
風 塵 : 人の世。俗世間。
当 軒 : ちょうど手すりのところに出て眺めると。
   縁側の手すりにもたれて見渡すと。
   『軒』は、手すり。欄干。
   『当』は、ちょうどその所でする。
野 趣 : 素朴で健康な自然のおもむき。
清 昼 : 俗世間から超越した静かな真昼。
     ・・・ とのことです。

この詩は漱石が46才の時に作った漢詩10題のうちの第1首である。




    【 日本の絶句 】
   釈 月性 の 『将に東遊せんとして壁に題す』






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