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韋 応物 の 『雁を聞く』

中国の絶句
08 /11 2017
続絶句編 250  
 2017年8月11日 続絶句編 144ページ

  雁を 聞く   韋 応物
 故園 渺として 何れの 処ぞ
 帰思 方に 悠なる 哉
 淮南 秋雨の 夜
 高斎 雁の 来るを 聞く 

 かりを きく
    い おうぶつ
こえん びょうとして いずれの ところぞ
きし まさに ゆうなる かな
わいなん しゅううの よる
こうさい かりの きたるを きく

◆テキストの通釈によると、
わが故郷 長安はどこだろうと眺めるが、
遥かに隔たっていて見えない。
帰りたいと願う気持が切々と迫り、尽きない。
この淮水の南の地で、秋雨がさびしく
降りしきる夜、わが住む屋敷の書斎で
雁の渡って行く声を聞くと、
いよいよ望郷の念がわき起こる

    ・・・とのことです。

先生のお話によると、    
韋 応物(736~ 791?)は、中唐の詩人。長安の出身。
南北朝時代からの名門の家に生まれ、太学に学んだ。
玄宗に近衛士官(三衛郎)として仕えた。
安史の乱の後、職を失って故郷に帰り、
貧窮の生活をしていたが、勉学に励んだ。
その後、下級の地方官を転々とした。

51才で、蘇州刺史になったが、白居易が赴任して
きたとき引退して、寺院に仮住いした。
その最期ははっきりとはしていない。
自然の静けさや穏やかさを詠んだ詩が秀れている。
この詩は、滁州刺史のときに作ったと思われる。

故 園 : 故郷。
 渺  : はるかに遠いこと。
帰 思 : 故郷に帰りたい気持。    
悠 哉 : 思う心の、長く尽きないこと。
   「悠々」という意と同じ。
淮 南 : 淮水の南。滁州のある地方。
高 斎 : 高殿にある書斎。
   郡の太守(長官)の官舎の書斎。

★ 雁は、手紙を運ぶ鳥として、 雁信、雁書
  (どちらも手紙の意)で望郷詩に多く使われている。 

     ◆  ◆  ◆

前漢の武帝(紀元前140年頃)の時代、
漢の中朗将であった蘇武(そぶ)は、使いとして
匈奴(モンゴル又はトルコ)の国に赴いた。
捕虜交換の交渉のためである。
ところが、匈奴の内紛にまきこまれて、
匈奴に降るか、それとも死ぬかを迫られ、
蘇武だけが降らなかった。そのため、彼は
山腹の窟に幽閉され、食を断たれた。
蘇武は雪と、口に入るあらゆる物を食べ、しのいだ。
次には、北海(バイカル湖)の人が住まない地に
牧羊とともに置き去りにされた。
牧羊は、盗賊に盗まれ、飢え、苦しみながらも、
蘇武は、匈奴に降ろうとしなかった。

漢では、武帝が死に、昭帝となり、匈奴のもとに
蘇武を還してほしいとの要求を使者に託した。
匈奴は、『蘇武はもう死んだ』と返答した。
使者は真偽がわからず思案していたところ、
蘇武とともに匈奴に来ていた者が、
訪ねてきて、何ごとかを教えてくれた。

次の交渉の時、漢の使いは、
≪漢の天子が、上林苑で狩りをしていた時、
 一羽の雁をしとめられた。その雁の足には、
 『蘇武は大沢の中にある』という
 絹布の手紙がついていた≫と伝えた。

匈奴の単于王は驚き、バイカル湖に使いを
走らせ、蘇武をつれ戻した。
髪もひげも真っ白、破れた毛皮をまとった
蘇武は、漢の使者にひき渡されて、
19年ぶりで国に帰ることができた・・・
という故事が『漢書』蘇武伝、
『十八史略』 に出てくる。

この故事によって、手紙や、おとずれのことを
『雁書』と言いならわすようになった。

★ 中国の行政区
   州の長官 ・・・ 刺史
   郡の長官 ・・・ 太守
   県の長官 ・・・ 令長
     ・・・とのことです。
   
      



  【 中国の絶句 】
 張謂 の 『長安主人の壁に題す』







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