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張 継 の 『重ねて楓橋に宿す』

中国の絶句
08 /18 2017
続絶句編 250  
 2017年8月18日 続絶句編 145ページ

  重ねて 楓橋に 宿す   張 継
 白髪 重ねて 来る 一夢の 中
 青山 改まらず 旧時の 容
 烏 啼き 月 落つ 寒山寺
 枕を 攲てて 猶お 聴く 半夜の 鐘 


 かさねて ふうきょうに しゅくす  ちょうけい
はくはつ かさねて きたる いちむの うち
せいざん あらたまらず きゅうじの すがた
からす なき つき おつ かんざんじ
まくらを そばだてて なお きく はんやの かね

◆テキストの通釈によると、
しらが頭になって、再びこの地にやってきた。
夢の中にいるようだ。周囲の青い山は、
まったく昔のままの姿であった。
鳥が啼き、月が西に傾くころ、寒山寺から、
今夜も、夜半の鐘が響き渡って来たので、
枕をななめにして聴き入ったことである

    ・・・とのことです。

先生のお話によると、    
張 継は、中唐の詩人、高級官僚。
生没年は不明で、753年、進士に合格。
初めは節度使の幕僚、のちに塩鉄判官となった。
安史の乱にさいしては江南に逃れた。
770年、洪州(江西省南昌市)の地方官となり、
この地で没した。張 継が治めた地では、
公正な政治家だと評判が良かった。

張 継は、蘇州郊外で旅愁をうたった
『楓橋夜泊』一首だけで、有名になった。
『重ねて楓橋に宿す』は、『楓橋夜泊』の続編
と考えられるが、実は、北宗の詩人 孫仲益が
作った詩であるとも言われている。

    ◆  ◆  ◆

寒山寺 : 江蘇省蘇州の西郊七里、
   楓橋の近くにある寺院。楓橋寺ともいう。
   南北朝時代に梁武帝が創建した頃には
   ≪妙利普明塔院・みょうりふめいとういん≫という
   寺名だったが、唐の時代になり、詩僧である
   寒山拾得が住むようになって≪寒山寺≫となった。
   焼失をくり返し、現存する建物は、1991年
   清朝末に再建されたものである。
 猶  : そのうえに。
半 夜 : 夜中
     ・・・とのことです。
   
      



  【 中国の絶句 】
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