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頼 山陽 の 『楠公子に訣るるの図に題す』

日本の絶句
09 /29 2017
絶句編テキスト

2017年9月29日 絶句編 49ページ  

   楠公 子に訣るるの 図に題す    頼 山陽 
 海甸の 陰風 草木 腥し 
 史編 特筆 姓名 馨し
 一腔の 熱血 余瀝を 存し
 児曹に 分与して 賊庭に 灑がしむ
   
 なんこう こにわかるるの ずにだいす   らい さんよう

かいでんの いんぷう そうもく なまぐさし
しへん とくひつ せいめい かんばし
いっこうの ねっけつ よれきを そんし
じそうに ぶんよして ぞくていに そそがしむ


テキストの通釈によると、
兵庫・湊川一帯の戦場には、殺気を含んだ風が
すさまじく吹き荒れ、草木までが血に染まってなまぐさい。
この血で戦死を遂げた正成公に対しては、
歴史の書物(日本外史)が特別に重く扱っており、
その名は後々の世までも芳しく香っているのである。
まことに公の身中に満ち溢れる熱血は、おのれ
ひとりのみならず、その余りの滴りを残して、
子孫に分け与え、子孫をして他日、賊軍と戦って
壮絶な死を遂げさせたのであって、
その忠誠の情は深く人を感動せしめる

   ・・・とのことです。

先生のお話によると、
海 甸 : 海に接した地方。ここでは摂津の兵庫・
   湊川の海岸をいい、今の神戸市一帯の地。
   『甸』は、天子の居城から500里までの区域。   
陰 風 : 陰気な風。曇りの日に吹くすさまじい風。
   殺気をおびた風。
一 腔 : 腹の中いっぱい。満腹に同じ
余 瀝 : 『瀝』は、しずく。
児 曹 : こどもたち。児輩に同じ。
灑賊庭 : 『賊庭』は、賊の陣中。『灑』は、血をそそぐ。
   正行(まさつら)が、四条畷(なわて)で、
   足利軍との戦いに敗れて、自害したのをいう。

★楠木正成は、足利尊氏、新田義貞らと鎌倉幕府を倒した。
政治の中心となった後醍醐天皇は、武士の功績を十分に
認めなかったため、足利尊氏が天皇から離れていった。
楠木正成と新田義貞は、後醍醐天皇の命を受けて、
足利尊氏と戦うことになったが、苦戦をし、敗れる。
楠木正成は、後醍醐天皇に、京都に留まって戦うことを
提案したが受け入れられず、後醍醐天皇は吉野に逃げて、
足利尊氏が京都に光明天皇を立てたため、これ以降
60年間余の南北朝時代が始まった
        ・・・ とのことです。




    【 日本の絶句 】
   頼 山陽 の 『舟大垣を発し桑名に赴く』






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