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杜 牧 の 『 漢 江 』

中国の絶句
10 /13 2017
続絶句編 250  
 2017年10月13日 続絶句編 152ページ

  漢 江   杜 牧
 溶々 漾々として 白鷗 飛ぶ
 緑 浄く 春 深うして 好し 衣を 染むるに
 南去 北来 人 自から 老ゆ
 夕陽 長なえに 送る 釣船の 帰るを


 かんこう  と ぼく
ようよう ようようとして はくおう とぶ
みどり きよく はる ふこうして よし ころもを そむるに
なんきょ ほくらい ひと おのずから おゆ
せきよう とこしなえに おくる ちょうせんの かえるを

◆テキストの通釈によると、
漢江の水はゆったりとしているが、
盛んに流れている。
その水面を白い鷗が飛んでいる。
春が深まり、川辺の緑も鮮やかで、
わたしの衣を染めてしまいそうだ。
人は南へ北へと行き来しているうちに、
いつの間にか老いていってしまう。
夕日はいつまでもいつまでも、
家路へと急ぐ釣り船を照らしている

    ・・・とのことです。

先生のお話によると、    
杜 牧(803~852)は、晩唐の詩人。
26才で進士に合格。
31才から3年間、楊州で華やかな生活を送る。
杜牧の生涯は、30代前半までのエリート官僚
として江南で思う存分に遊んだ時期と、
弟一家の面倒を見なければならなくなって、
栄達の挫折を味わった後半の時期との二つに
分けることが出来る。杜牧の作品には、
風流才子・軽妙洒脱・機知に富むものが多い。

漢 江 : 漢水または漾水の名がある。
   陝西省寧羌(ねいきょう)県から
   沔(べん)県を経て沔(べん)水となり、
   漢中盆地の水を集めて漢水となり、
   湖北省を縦走し、武漢で長江に注ぐ。
   全長1500kmといわれる。
溶 々 : 水の盛んに流れるさま。
漾 々 : 水のゆったりと動くさま。
   ≪溶々、漾々、同じ言葉を重ねる → 畳語≫
夕 陽 : 夕日。
 長  : いつまでも。

★杜牧が何才の頃、この詩を作ったのかは
 不明であるが、晩年ではないかと思われる
            ・・・とのことです。    


     ◆  ◆  ◆


こちら に よると、
 杜牧は、中国、晩唐の詩人。散文にも秀でた。同族の先輩詩人である杜甫(とほ)(大杜(だいと))と区別して小杜(しょうと)とよばれる。 ・・・ 長安(陝西(せんせい)省西安)の出身。・・・ 若いころは遊興にふけった人のようで、ときとして退廃にまで傾いた近体の艶詩(えんし)でよく知られるが、その裏面には、祖父杜佑(とゆう)が宰相となったほどの名門に生を受けながら、崩壊寸前期の唐王朝に直面し、かつ眼病に悩む弟の医療費をかせぐために低い地方官暮らしを続けざるをえなかった詩人の苦渋がある。「十年一たび覚(さ)む揚州の夢、贏(あま)し得たり青楼薄倖(はくこう)の名」など杜牧の詩が往々にしてシニカルな屈折と飛躍を示すのはそのためである。したがってその詩集には軽薄なものはごく少数しか残されておらず、「江南春」「泊秦淮(しんわい)」など清麗な絶句に特色がある。ほかに「阿房宮賦」「杜秋娘(しゅうじょう)詩」などが知られる。
 文学家としての杜牧の真面目(しんめんもく)は、兵法の書『孫子(そんし)』に注釈を施したり、また、その政治論文にうかがわれる、骨格の勁(つよ)い剛直さと気概とにある。中唐に端を発した古文運動の正当な継承者といえよう・・・
        ・・・とのことです。




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