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梁川星巌 の 『 芳野懐古 』

日本の絶句
10 /31 2017
絶句編テキスト

2017年10月31日 絶句編 53ページ  

   芳野懐古    梁川 星巌 
今来 古往 事 茫々 
石馬 声 無く 抔土 荒る
春は 桜花に 入って 満山 白し
南朝の 天子 御魂 香し
   
 よしのかいこ   やながわ せいがん
こんらい こおう こと ぼうぼう
せきば こえ なく ほうど ある
はるは おうかに いって まんざん しろし
なんちょうの てんし ぎょこん かんばし


テキストの通釈によると、
ここ芳野山の塔ノ尾陵にきてみれば、
昔から今に至るまでのことは、
ぼんやりとしてまるで夢のようである。  
陵の前の石の馬はいななきもせず、
ひっそりとして荒れ果てたこの有様は、
まことにおいたわしい限りである。
ところで今は春、桜花の季節になったので
花の名所のこの山は、ことごとく真っ白で、
ほんとうに美しい。さぞかしここに眠りたもう
天子も、昨日今日は、この美しい景色に心を
慰めたまい、花の香を全身に浴びさせられ、
御魂も香しく匂っておられることであろう 

   ・・・とのことです。

先生のお話によると、
梁川 星巌(1789~1858)は、江戸時代後期の漢詩人。
美濃国安八郡曽根村(現在の岐阜県大垣市)の
郷士の家に生まれ、15才で江戸に遊学。
山本北山に師事し、国に帰って塾を開いた。
塾生の中に当時14才だった紅蘭がいて、
星巌32才、紅蘭17才で結婚した。
後に女流漢詩人となった紅蘭とともに全国を
周遊し、江戸に玉池吟社という塾を開いた。

吉田松陰や橋本左内らと交流があったため、
安政の大獄の捕縛対象者となったが、その直前
(大量逮捕開始の3日前)にコレラにより死亡した。
妻・紅蘭は捕らえられたが、翌年に釈放された。
出身地・大垣市曽根には梁川星巌記念館があり、
近くの曽根城公園に妻・紅蘭との銅像がある。

芳野懐古 : 春、桜花の季節に芳(吉)野の南朝の御陵で
   昔を追懐しての作。吉野山は桜で有名。
   漢詩を作るとき、吉野を芳野と当て字を使う。
   他の例として、江の島→絵の島 などがある。
今来古往 : 昔から今に至るまで。
   本来は、古往今来、古今往来。
茫 々 : ぼんやりとして遠いさま。
石 馬 : 中国で陵墓に立っている石造りの馬。
   わが国ではそうした風習はないが、中国の
   慣習にちなんで、こう表現した。
抔 土 : 手で掬うほどの土。転じて陵墓の意。
   ここでは後醍醐天皇の延元陵、塔ノ尾山陵という。
   如意輪寺内にある。
南朝天子 : 後醍醐天皇はじめ南朝の天皇。
   南朝は4代の天皇により60年余続いたが、
   足利3代将軍 義満の時に統一された
           ・・・ とのことです。





    【 日本の絶句 】
   広瀬淡窓 の 『桂林荘雑詠諸生に示す その二』






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