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曹 松 の 『 己亥の歳 』

中国の絶句
12 /08 2017
続絶句編 250  
 2017年12月8日 続絶句編 159ページ

  己亥の 歳   曹 松
 沢国の 江山 戦図に 入る
 生民 何の 計あってか 樵蘇を 楽しまん
 君に 憑って 話す 莫かれ 封侯の 事
 一将 功 成って 万骨 枯る


 きがいの とし     そう しょう
たくこくの こうざん せんとに いる
せいみん なんの けいあってか しょうそを たのしまん
きみに よって はなす なかれ ほうこうの こと
いっしょう こう なって ばんこつ かる

◆テキストの通釈によると、
この江淮(こうわい)一帯の山や川は、戦乱のために
すっかり荒れてしまった。人々は、どんな
手立てがあって日常の生計を営むことができよう。
どうぞ、あなたにお願いします。戦場で手柄を
たてて、出世しようなどと言わないで下さい。
一人の将軍が戦功を立てる時、数多くの兵卒の
骨が戦場に散って枯れていくのですから・・・

    ・・・とのことです。

先生のお話によると、    
曹 松 は、生没年ははっきりしない晩唐の詩人。
山の中での隠遁生活も送り、
70才を過ぎてから進士に合格。
そのあと、すぐ亡くなったようだ。
校書部(文書を調べる係)を務めた記録はある。
この詩では民衆の苦しみを訴えている。

★黄巣の乱を詠んだ『己亥の歳』は、
  結句 「一将功成りて万骨枯る
   (一人の将軍が功名を成した陰には
     万人の兵士たちの犠牲がある)
   で広く知られ、戦争の空しさ、愚かさを
   示す警句として使われている。

己亥歳 : 乾符6年(879)に当り、この前年には
   ≪黄巣の乱≫が起こり、四川・湖南・湖北・安徽・江蘇
   などの各省は大混乱に陥り、唐王朝の滅亡につながった。
   『己』は、つちのと。『亥』は、い。
   十干十二支により60年毎に回ってくる。
沢 国 : 水の豊かなところをさす。ここでは
   江淮地方(長江下流と淮河(わいが)流域)をさす。
戦 図 : 戦争の行われている地域。
   西安市の東郊、驪山(りざん)の北麓にある。
   兵馬俑(等身大)が発見される。
生 民 : 人民。民衆。
何 計 : どんな手立てがあろう、何もない、という反語。
樵 蘇 : 生活のための営み。
   『樵』は木こり、『蘇』は草刈り。
 憑  : 頼りにする。お願いする。 
封 侯 : 戦争で手柄をたてて大名に取り立てられること。
万 骨 : 多くの兵の死。
       
         

≪黄巣の乱≫について こちら によると、
★ 唐末の875年に起こった、塩の密売人黄巣らを指導者とする農民反乱。884年に鎮圧されたが、唐は急速に衰退する。

★ 黄巣の乱は10年近くにわたり中国全土を巻き込んだ大乱となって、884年に鎮圧されたが、唐王朝がそれで滅亡したわけではない。その後も20年以上続くが、その間は乱を鎮圧する軍事力となったトルコ系の李克用と、頭角を現して節度使となった朱全忠との間で激しく抗争し、動揺が続いた。次第に唐朝の実権を握った朱全忠は、皇帝昭宗を殺害、さらにその子で唐朝最後の皇帝哀帝から禅譲を受ける形で皇帝となり、907年に唐に代わって後梁を建国することとなる。こうして290年、20代に及んだ唐の滅亡をもたらし、五代十国の分裂期に入るきっかけとなった
       ・・・とのことです。    





     【 中国の絶句 】
  荊 叔 の 『慈恩塔に題す』







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