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王 安石 の 『 初夏即事 』

中国の絶句
01 /19 2018
続絶句編 250  
 2018年1月19日 続絶句編 164ページ

   初夏 即事   王 安石
 石梁 茅屋 湾碕 有り
 流水 濺々として 両陂に 度る
 晴日 暖風 麦気を 生じ
 緑陰 幽草 花時に 勝る


 しょか そくじく     おう あんせき
せきりょう ぼうおく わんき あり
りゅうすい せんせんとして りょうひに わたる
せいじつ だんぷう ばっきを しょうじ
りょくいん ゆうそう かじに まさる

テキストの通釈によると、
石の橋と茅ぶき屋根の家、そして
曲がりくねった岸辺がある。流れる水は、
さらさらと両側の堤の中を渡って行く。
初夏のよく晴れた日に、暖かい風が吹きわたると、
麦の香りがたちこめて、こんもり茂った木陰に、
ひっそりと草も茂り、花の咲く時よりも風情がある

    ・・・とのことです。

先生のお話によると、    
王 安石(1021~1086)は、北宋の政治家・詩人であり、
神宗によって抜擢され、宰相ともなり、政治改革に
あたって新法を実施して、財政の建て直しなどに
実績をあげたが、特権階級の利益を侵す事となり、
司馬光を中心とする保守派の反撃や諫言によって失脚。
息子の死などもあり、56才から隠棲生活を送り、
66才で亡くなった。 号は、半山。

即 事 : 眼前の景や事象を見たまま詩にすること。
石 梁 : 石造りの橋。
茅 屋 : かやぶき屋根の家。
     王安石が隠棲していた≪半山亭≫のこと。
湾 碕 : 曲がりくねった川岸。碕=岸。
濺 々 : 水のさらさらと流れるさま。
 陂  : ななめ。堤。
麦 気 : 麦の香。
幽 草 : 人目につかず、ひっそり茂る草。

★ 王 安石が隠棲していたのは、南京(金陵)と鍾山の
  中間地点で、号も半山であったことから
  隠棲していた庵を≪半山亭≫という
       ・・・とのことです。  
   
         

★ 王 安石の新法に対して、旧法に拠っていた蘇軾ですが、
  こちら によると、
    15才以上年下の蘇軾は、王安石を尊敬しており、
    互いに交流も深かったと聞いています。
    政治と詩(文学)とは別物でした

       ・・・とのことで、ほっとしました。

こちら から新法と旧法について次に転載させていただきました。

旧法党の中心である司馬光(しばこう、1019~1086)とは、その政治思想において真っ向から対立した。ところが、没年が同じこの両者は、どうも互いに相手の非凡な才能を認め合うという不思議な関係でもあったようなのだ。

 もう一つ不思議なことを述べれば、中国史上におけるこの両者は、ともに歴史的評価が高いことである。善悪の評価が一辺倒になりやすい今日の中国人でさえ、この二人にはそれぞれに少なからぬ人気を寄せている。

 青苗法、均輸法など数ある「王安石の新法」を一言で説明するのは難しいが、要するに彼の新法とは、異民族の西夏が北方から圧迫してくるという危急存亡の時にある北宋が、更なる富国強兵のため、大地主や豪商の既得権益に大なたを振るった大胆な改革法であった。

 革新的な諸政策に、当然ながら猛反発が起きた。しかし、20歳で即位した青年皇帝・神宗は、王安石の政策を採用して推進させる一方、政治の場では退けた旧法党の臣下、例えば司馬光には歴史の大著『資治通鑑』を編纂させるなど、失脚者にも配慮がなされた。

 新法・旧法の争いは、実はこの後も延々と続き、ついには北宋終焉の主要因となる。王安石は、その途中でいさぎよく政界を引退し、南京の郊外に隠居した。

 冒頭の詩は、そのような作者の晩年の作である。なるほどこの詩には、どろどろした政治の世界とは正反対の、万物天然の好ましい姿が飾ることなく描かれている。




     【 中国の絶句 】
  王 安石 の 『 梅 花 』







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