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朱 熹 の 『書を観て感有り』

中国の絶句
02 /23 2018
続絶句編 250  
 2018年2月23日 続絶句編 168ページ

   書を観て 感有り    朱 熹
 昨夜 江辺 春水 生ず
 蒙衝 巨艦 一毛 軽し
 向来 枉げて 費やす 推移の 力
 此の日 中流 自在に 行く


 しょをみて かんあり   しゅ き
さくや こうへん しゅんすい しょうず
もうしょう きょかん いちもう かろし
こうらい まげて ついやす すいいの ちから
このひ ちゅうりゅう じざいに ゆく

テキストの通釈によると、
昨夜の雨で、川の水は増している。
そこで、軍用船の巨艦も、あたかも
一本の毛のように軽々と浮かんでいる。
これまでは水量も少なく、軍用船を動かすのに、
やたらに時間や力がかかったが、この日は
流れの真中へ自由自在に行くことが出来た。
(学問もこれと同じで、懸命に励み、本質を
 把握すれば、容易に理解できるものである)

    ・・・とのことです。

先生のお話によると、    
朱 熹(1130~1200)は、南宋の哲学者であり、詩人、文章家。
本名が朱熹であり、号は晦庵など。
1148年、19才で進士に合格。
1151年、泉州同安県の主簿(帳簿係)に任官された。
1156年には主簿の任期である3年を過ぎたが、
後任がやって来ないのでもう一年だけ勤め、
それでも後任がやってこないために自ら辞している。
1160年、祠官に任命されることを希望し認められた。
1162年、孝宗の治世となり、武学博士を命じられたが、
辞退して祠官を続けられるよう望み、地元の崇安県に戻った。
28才で官を退いて、20年間、国からの年金で学問に励んだ。

1170年、40才頃に朱子学を確立させた。この頃、
崇安県に社倉を設け、難民の救済にも当たったりしている。
1179年、49才から再び役人生活に戻り、
南康軍(江西省)の知事となり、向学心ある者に教育を授けたり、
税制の実態を見直して減税を行うように朝廷に進言したりしている。

1194年、寧宗が即位すると、朱熹は長沙の知事から
中央官庁に戻り、天子の顧問官に抜擢されたが、
宰相と対立したことなどもあって45日で辞任した。
1196年、朱熹の朱子学に対して弾圧(偽学の禁)がされ、
朱熹は、全ての官職を剥奪され、著書も発禁とされた。
1200年、そうした不遇の中、71才で亡くなった。

朱子学は、日本においても、とりわけ江戸期に
重きがおかれたため、後世にも影響を残している。

  朱子学・・・先知後行・・・徳川家康が幕府の儒学として
         取り上げ、日本に大きな影響を与えた。
  陽明学・・・知行合一

           

★ この詩は、二首連作の≪その1≫で、
   書物を読み、師に学び、学問に励むことによって
   理解力を増し、物事の本質を見抜く力がつくことを
   春水の流れを例えにして、説いている。

春 水 : 春になると潮が満ちて、水かさが増す。
蒙 衝 : 軍用船。牛の皮で外部を覆い、
   敵船を突破する堅牢な船。
向 来 : これまで。従来。
 枉  : むだに。やたらに。
中 流 : 流れの真ん中
       ・・・とのことです。  
   
    



     【 中国の絶句 】
  楊 万里 の 『夏夜 涼を追う 』







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