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広瀬 旭荘 の 『 桜祠に遊ぶ 』

日本の絶句
02 /24 2018
絶句編テキスト

2018年2月24日 絶句編 67ページ  

   桜祠に 遊ぶ    広瀬 旭荘 
 花 開けば 万人 集まり
 花 尽くれば 一人 無し
 但 見る 双 黄鳥
 緑陰 深き 処に 呼ぶを
   
 おうしに あそぶ   ひろせ きょくそう
はな ひらけば ばんにん あつまり
はな つくれば いちにん なし
ただ みる そう こうちょう
りょくいん ふかき ところに よぶを


テキストの通釈によると、
桜の花が咲くと、何万とも知れぬ人たちが
花見に集まってくるが、さて、いったん花が散ってしまうと、
だれ一人やってこなくなる。ただ、
一つがいの雌雄の鴬だけが、緑濃い
葉桜の木陰で呼び交わしているのである。
(このように人は権勢利欲に憧れ、招かないでも
 大勢のものが近寄ってくるが、その人が、地位・
 財産を失ったとなると、だれ一人として寄り付かなくなる。
 そうした折り、旧に変わらない交情を示すものこそ
 真の人間である)
 ・・・とのことです。

先生のお話と こちらによると、
広瀬 旭荘(18071863)は江戸時代末期の漢詩人。
豊後国、現在の大分県日田市で生まれた。
兄・広瀬淡窓より26才下の8人兄弟の末っ子。

1817年 10才  長兄淡窓の桂林荘に入門。
1823年 16才  父の勧めにより淡窓の養子となり勉学に専念。
            筑前の亀井塾に入門。都講に任ぜられる。
1825年 18才  亀井塾を退き、日田に戻る。
      病床の兄・淡窓に代わって咸宜園の塾政となる。
1828年 21才  豊前浮殿(宇佐と豊後高田の境)に塾を開く。
1830年 23才  咸宜園を継ぐ。
1831年 24才  日田郡代の干渉があり、塾生数の減少。
1834年 27才  父死去。
1836年 29才  大坂に出て、塾を開く。
1843年 36才  大坂の塾を閉じ、江戸にて開塾。
  塾は盛大であったが、大病を患い、29歳の妻も死去。
  金品の盗難等などで、600両の借金ができた。
1846年 40才  大坂に戻り塾を開く。
1851年 45才  借金を完済。
1863年  57才  池田郷にて(現池田市綾羽)永眠。

★ この詩は、全句が比喩の形をとっている。

  
桜 祠 : 今の桜の宮(大阪市都島区)にある神社(桜の宮神社)で、
   天照大神と、応神(15代)・仁徳(16代)天皇をまつる。
   古来、花見の地として知られている。
     祠=神社
双黄鳥 : 一つがいの雌雄の鴬。 黄鳥=鴬
            ・・・ とのことです。





    【 日本の絶句 】
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