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藤井 竹外 の 『 芳野懐古 』

日本の絶句
02 /24 2018
絶句編テキスト

2018年2月24日 絶句編 68ページ  

   芳野 懐古    藤井 竹外 
 古陵の 松柏 天飈に 吼ゆ
 山寺 春を 尋ぬれば 春 寂廖
 眉雪の 老僧 時に 帚くことを 輟め
 落花 深き 処 南朝を 説く
   
 よしの かいこ   ふじい ちくがい
こりょうの しょうはく てんぴょうに ほゆ
さんじ はるを たずぬれば はる せきりょう
びせつの ろうそう ときに はくことを やめ
らっか ふかき ところ なんちょうを とく


テキストの通釈によると、
芳野山の如意輪寺に桜の花見に来たのであるが、
寺内の古い後醍醐天皇の陵のほとりには、松と
柏が高々とそびえ、空吹く風に唸り声を立てている。
花見る人の影もなく、ひっそりとしてものさびしい。
ただ眉毛まで雪のように白い老僧があたりを掃いて
いたが、わが姿をみとめ箒の手をとどめて、落花が
深く散り敷いているところに自分をひきとめ、
昔の南朝の話をいろいろ物語ってくれた

 ・・・とのことです。

先生のお話 によると、

藤井竹外は1807年生まれ、明治維新を見ずに
1866年7月 60歳で亡くなった。
本名 「啓」 で、高槻藩の中堅家臣、家禄50石。
代々知行地をうける権利をもつ家格で、
時には政務の中枢を担いうる身分でもあったが、
竹外はいつのころからか詩作に傾倒し、酒に浸り、
勤番をきらって病気だといっては家にこもり、
療養だといっては旅に出る毎日だった。

頼 山陽 に教えを受け、梁川星巌、広瀬淡窓らと
親交があり、晩年は京都で詩を作り、酒を愛し、
悠々自適の生活を送った。

古 陵 : 後醍醐天皇の塔ノ尾陵。延元陵ともいう。
松 柏 : 中国では古来、松柏を墓陵・廟所に植える。
   わが国では、必ずしもそういった風はないが、
   漢詩のことであるので中国風にいったもの。
   柏は、松科の常緑樹である。
天 飈 : 天空に吹き荒ぶ風。はやて。つむじ風。
山 寺 : 如意輪寺(にょいりんじ)。
尋 春 : 春景色をさぐる。
眉 雪 : 眉が雪のように白いこと。
南 朝 : 後醍醐・後村上・長慶・後亀山の4代の天皇が
   57年に亘って吉野山に朝廷を開く(南北朝時代)

★ 芳野三絶
   梁川 星巌 『芳野懐古』
   河野 鉄兜 『 芳 野 』 
   藤井 竹外 『 芳野懐古 』
            ・・・ とのことです。




    【 日本の絶句 】
   広瀬 旭荘 の 『 桜祠に遊ぶ 』






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