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高 啓 の 『 問 梅 閣 』

中国の絶句
03 /23 2018
続絶句編 250  
 2018年3月23日 続絶句編 172ページ

  問 梅 閣   高 啓
 春に 問う 何れの 処よりか 来る
 春 来って 何れの 許にか 在ると
 月 堕ちて 花 言わず
 幽禽 自から 相 語る


 もんばいかく   こうけい
はるに とう いずれの ところよりか きたる
はる きたって いずれの ところにか あると
つき おちて はな いわず
ゆうきん おのずから あい かたる

テキストの通釈によると、
春に尋ねる。お前はいったい何処から来たのか、
春は来て、今、何処にいるのだろうか、と。
月は西の空に隠れ、梅の花は何も答えてくれない。
ただ、小鳥だけがさえずっているだけだ

    ・・・とのことです。

先生のお話によると、    
高 啓(1336~1374)は、中国・明代初期の詩人。
江蘇省蘇州の出身で、号は青邱子。
神童、博学として知られ、史書を好んだ。
戦乱を避けて青邱に隠棲していたが、
1369年 34才、太祖・朱元璋に招かれて
翰林院・国史編修官として『元史』の編纂に加わった。
翌年、戸部侍郎(こぶじろう、財務省次官)に抜擢されたが
固辞し、故郷の蘇州の青邱に戻り、詩人として活躍した。

けれども、その詩に、太祖・朱元璋を諷刺したものがあり、
また、高啓と親しかった蘇州知事・魏観(ぎかん)のために
書いた文章が禍して、39才で、腰斬の刑に処せられた。
その前年、1373年には、死を覚悟しての北行に際して
楓橋において「絶命詩」を詠んでいる。

問梅閣 : 楼閣の名。梅の勝景で名付けた楼閣であろうが、
   その所在は明らかではない。
何 許 : どこ。何処と同じ。
幽 禽 : 物静かな小鳥。 幽は、奥深く、物静か。
   
               

★ 明の初代皇帝(太祖) 朱 元璋は
極貧の農民から皇帝にまで上った人で、
行動力、決断力などに優れていたが、
猜疑心や被害妄想心が強く、
つぎつぎと重臣たちを粛清していった。
高啓は、それを警戒して大役を固辞して
故郷に帰ったと思われるが、若くして
重刑に処せられることになってしまった。

★ この詩は、前半では、
春はどこから来て、どこにいるのかと、春に尋ね、
後半では、月と梅の花からはその答えが得られず
小鳥だけが(何か言いたげに?)さえずっている
という花鳥風月の詩である
          ・・・とのことです。  




   【 中国の絶句 】
  袁 凱 の 『京師にて家書を得たり』







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