FC2ブログ

釈 月性 の 『将に東遊せんとして壁に題す』

日本の絶句
03 /26 2018
絶句編テキスト

2018年3月26日 絶句編 73ページ  

   将に 東遊せんとして 壁に 題す      釈 月性 
 男児 志を 立てて 郷関を 出ず
 学 若し 成る 無くんば 復 還らず
 骨を 埋むる 何ぞ 期せん 墳墓の 地
 人間 到る 処 青山 有り
   
 まさに とうゆうせんとして へきに だいす   
                   しゃく げっしょう
だんじ こころざしを たてて きょうかんを いず
がく もし なる なくんば また かえらず
ほねを うずむる なんぞ きせん ふんぼの ち
じんかん いたる ところ せいざん あり


テキストの通釈によると、
ひとたび男子が志を立てて郷里を出た以上は、
学業が成るまでは死んでも再び戻らない決心である。
骨を埋めるのに、どうして故郷の墓所を期待しようか。
世間、どこへ行っても青々とした山の墓地があるのである
 
     ・・・とのことです。

先生のお話によると、
釈 月性(1817~1858)は、幕末、尊皇攘夷の僧である。
周防国・遠崎村(現在の山口県柳井市)生まれ、
妙円寺(妙園寺)の住職。字は知円。号は清狂。

15才のとき豊前・肥前・安芸国で漢詩文・仏教を学ぶ。
そのあと、京阪・江戸・北越を回って遊学し名士と交流、
幕末の志士、吉田松陰、久坂玄瑞らとも交流した。
この詩は27才で、大阪の儒学者である篠崎小竹に
入門のため旅立つときに作られた。二首連作の
その1で、その2は親らのことを書いている。

40才のとき、西本願寺に招かれて上洛。
梁川星厳・梅田雲浜などと交流し攘夷論を唱え、
紀州藩へ出かけ、海防の説得にあたるなどしたため
海防僧とも呼ばれ、長州藩を攘夷に向かわせるのにも
努めた。1858年、42才で病死。

題 壁 : 壁上に詩文を書きつけることで、
   中国の文人の行う習慣に習っての表現。
   ここでは堅い決心を書き残したという意味である。
青 山 : 中国では墓の別名。
   樹々の茂った山から出た名称。
 何  : どうして・・・しようか(反語)
人 間 : 世の中。世間。

★安部老中が天皇の勅許を得ずに、下田・長崎・函館
 開港の条約を結んだことを、終生の恨みとしていた。
★ 鹿児島湾で西郷隆盛と入水した僧「月照」とは異なる
     ・・・ とのことです。



    【 日本の絶句 】
   梅田 雲浜 の 『 訣 別 』






スポンサーサイト



コメント

 詩吟もえ子

お稽古に参加して七年目です。
皆さまもご一緒にいかがですか?