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有智子内親王 の 『春日山荘』

日本の律詩
05 /11 2018

 春日山荘   有智子内親王

 寂々たる 幽荘 山樹の 裏
 仙輿 一たび 降る 一池塘
 林に 棲む 孤鳥 春沢を 識り
 澗に 隠るる 寒花 日光を 見る
 泉声 近く 報じて 初雷 響き
 山色 高く 晴れて 暮雨 行る
 此れより 更に 知る 恩顧の 渥きを
 生涯 何を 以ってか 穹蒼に 答えん


 しゅんじつ さんそう  うちこないしんのう
せきせきたる ゆうそう さんじゅのうち
せんよ ひとたび くだる いちちとう
はやしに すむ こちょう しゅんたくを しり
たにに かくるる かんか にっこうを みる
せんせい ちかく ほうじて しょらい ひびき
さんしょく たかく はれて ぼう つらなる
これより さらに しる おんこの あつきを
しょうがい なにを もってか きゅうそうに こたえん


◆ 先生のお話によると、
有智子内親王(807~847)は、第52代嵯峨天皇の第8皇女。
嵯峨天皇が即位した翌年、4才で初代賀茂斎院に卜定される。
823年、17才のとき、嵯峨天皇が斎院へ行幸した際に
作られた内親王の詩に感嘆した天皇より三品に叙された。

832年、24才で病により退下したが、翌年、二品に昇叙。
847年、41才にて死去した。

嵯峨天皇は、弘法大師、橘 逸勢 とともに三筆のひとり。
絶句『山の夜』『江上の船』の作者で、漢詩人でもある。

伊勢神宮の場合、斎宮は元からあったが、
賀茂斉院は、下賀茂神社の中にある斉院で、
嵯峨天皇が開院を決め、斉院は卜定で決められた。

詩の意味は、
寂しくて静かな山の奥の山荘、うっそうと樹木が茂っている。
仙人(天皇)の乗る輿が、このほど池のほとりに行幸された。

林に棲む一羽の鳥(内親王自身)が、春のめぐみを知った。
谷間の川に隠れた花(内親王自身)が、
日の光を見る思い、幸せな気持ちでいる。

泉の流れ出る音が近くに聞こえて、
天には、夏の初めに鳴る雷が響いている。
山の景色は高く晴れているが、日暮れの雨が通り過ぎていく。
(天皇が行幸され、シンと静まっていた辺りが賑わっている)

改めて、天皇のご慈愛がどんなにか厚く深いかを知った。
自分の生涯において、穹蒼(天皇の恩沢)に
どのようにお答えしたらよいのでしょうか。


 父親である嵯峨天皇が間近く奉じて下さり、
 幸せな気持ちを詩情豊かに、詠った詩である
       ・・・ とのことです。
    

【感想】 父親である天皇が尋ねてくれたことに対して、
 恩顧の渥きに深く感動し、この恩にどのように
 生涯をもってどう答えていこうか? という気持ちは
 現在の親子の感覚から考えると、なぜ?と疑問にも
 思いました。けれども、嵯峨天皇には50人ほどの
 皇子や内親王がいたようですので、そのうちの一人
 でしかない自分に目をかけて下さった天皇のご恩に
 深く感謝してこの詩が作られたのかと少し納得できました。




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