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菅原 道真 の 『 秋思の詩 』

日本の律詩
05 /18 2018
 秋思の詩   菅原 道真

 丞相 年を 度って 幾たびか 楽思す
 今宵 物に 触れて 自然に 悲し
 声は 寒し 絡緯 風 吹くの 処
 葉は 落つ 梧桐 雨 打つの 時
 君は 春秋に 富み 臣 漸く 老ゆ
 恩は 涯岸なく 報ゆること 猶 遅し
 知らず 此の 意 何にか 安慰せん
 酒を 飲み 琴を 聴き 又 詩を 詠ず


 しゅうしの し   すがわらの みちざね
じょうしょう としを わたって いくたびか らくしす
こんしょう ものに ふれて しぜんに かなし
こえは さむし らくい かぜ ふくの ところ
はは おつ ごどう あめ うつの とき
きみは しゅんじゅうに とみ しん ようやく おゆ
おんは がいがんなく むくゆること なお おそし
しらず この こころ いずくにか あんいせん
さけを のみ ことを きき また しを えいず



◆ 先生のお話によると、

この詩の原題は、
「九日後朝同(こうちょうとも)に秋思を賦し制に應ず」で、
900年9月10日、宮中の宴にて
醍醐天皇より「秋思」の勅題に応じて作られた。

菅原 道真(845~903)は平安時代の学者・政治家である。
菅家は、代々の学者で、道真は文章博士でもあった。
宇多天皇(59代)に認められて、宮中に上がる。
醍醐天皇が13才で即位し、道真は右大臣となった。
この時、藤原時平が左大臣となった。
道真 55才、時平 27才であった。

当時は、藤原氏一門が外戚となって力をつけて
摂関政治が行われていた。
   摂政・・・天皇が未成人
   関白・・・天皇が成人

この詩が醍醐天皇に認められて、御衣を賜った。

丞相とは、諸葛孔明がこのように呼ばれていたが
天皇を補佐して執政を行う大臣のこと。


詩の意味は、
自分は右大臣となって年を経て、
幾度となく楽しい思いもして参りましたが、
   (この場合、楽思の≪思≫は助字である)
なぜか、今宵9月10日は見るもの、聞くものすべて
何となく悲しく、自然に気が滅入るばかりです。

吹く風が冷たく、コオロギたちの声が胸に沁み入る思いで、
そぼふる雨に桐の葉が落ちるのがたまらなく淋しい。

わが君(醍醐天皇)は、お若く(春秋に富み)、
将来への可能性を持ち、
臣(自分)は、めっきり老い、気の弱まりを感じます。
はてしない(涯岸なく)君のご恩に報いることが、
自分の存命中にできますかどうか。

この自分の胸中をお伝えしようにも術のない有様で
憂鬱な気持ちをはらすため(白楽天にならって)
酒を飲み、琴を聴き、また詩を詠じて自分を慰めようと存じます。



その後、道真は藤原氏の讒言により大宰府に流された。
醍醐天皇から御衣を賜ったこの宮中の宴より一年後、
大宰府にて作られた詩が 『九月十日』 である 
       ・・・ とのことです。
    

【感想】
若い醍醐天皇を補佐するトップの座についていたものの
摂関政治を押し進める藤原氏にとって自分は≪じゃま者≫
まわりには不穏な動き、気配が感じられ、沈うつな
気持ちで作られた詩なのかな~と思いました。




       【日本の律詩】

   有智子内親王 の 『春日山荘』






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