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石川 丈山 の 『 幽居 即事 』

日本の律詩
06 /15 2018
幽居 即事   石川 丈山

 山気 人世に 殊なり
 常に 含む 太古の 情
 四時 雲樹の 色
 一曲 澗泉の 声
 雨は 鶯衣を 湿して 重く
 風は 蝶袖を 暄めて 軽し
 詩を 為り 老に 至ると 雖も
 未だ 鬼神をして 驚かしめず


 ゆうきょ そくじ   いしかわ じょうざん
さんき じんせいに ことなり
つねに ふくむ たいこの じょう
しいじ うんじゅの いろ
いっきょく かんせんの こえ
あめは おういを うるおして おもく
かぜは ちょうしょうを あたためて かろし
しを つくり ろうに いたると いえども
いまだ きしんをして おどろかしめず

先生のお話によると、
こちら にもありますが、
石川丈山(1583~1672)は江戸時代初期の武将、文人。
三河・泉郷(現 安城市和泉町)出身の武士で、
家康の近侍(きんじ)を務めていた。1815年、33才の時
大坂夏の陣で抜け駆けをし、大将の首を二つとったが、
軍令に反していたため、家康から武士の資格を剥奪され
浪人となって、京都の妙心寺に隠棲していた。
35才の時、林羅山のすすめで藤原惺窩に師事して
儒学を学ぶ。丈山は、仕官を断っていたが、
母が病気となり、紀州・浅野家に仕官する。
浅野家が安芸(広島)に転封となり、丈山も
安芸に移り住んだが、母が亡くなり、54才で
京都に戻った。59才で京都郊外の比叡山の麓
一乗寺村に凹凸窠を造った。ここに中国36人の
文人の画を描かせて飾ってあったことから
詩仙堂とも呼ばれた。丈山は、
90才で亡くなるまでここに住んだ。

詩の意味は、
山間の風気は人世(俗世界)とは異なっていて、
常に、昔ながらの俗人に汚されない風情をたずさえている。

 殊 = 異
 山 = 比叡山のこと
 
春夏秋冬の四季、雲のたたずまいや
樹木の色合いの中に、聞こえてくる音楽と言えば、
谷間に澗泉の音色ばかりが響いている。

 四時=この場合は、四季をいう

春雨は、鶯の衣(羽)をしっとりと湿して重くし、
春風は、孵ったばかりの蝶の袖(羽)を温め、軽やかである。
 
 暄めて=暖めて、温めて

詩をつくるようになって久しいが、老いに至っても、
未だに鬼神を感激させるほどの詩をつくることはできていない。

 老いに至る=久しくなる
 鬼神=目に見えない神
    
         ◆  ◆  ◆

自然を愛し、花を愛でた 石川丈山らしい詩である。
詩仙堂の正式な名称は 『六々山詩仙堂丈山寺』
一乗寺村は、宮本武蔵が吉岡道場の門弟らと闘った地でもある
   ・・・ とのことです。


   
     【日本の律詩】

   菅原 道真 の 『 九月十五夜 』






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