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良 寛 の 『 意に 可なり 』

日本の律詩
08 /03 2018
意に 可なり     良 寛

 慾 無ければ 一切 足り
 求むる 有れば 万事 窮す
 淡菜 饑を 療すべく
 衲衣 聊か 躬に 纏う
 独り 往いて 糜鹿を 伴とし
 高歌して 村童に 和す
 耳を 洗う 巌下の 水
 意に 可なり 嶺上の 松


  こころに かなり     りょうかん
よく なければ いっさい たり
もとむる あれば ばんじ きゅうす
たんさい うえを いやすべく
のうい いささか みに まとう
ひとり ゆいて びろくを ともとし
こうかして そんどうに わす
みみを あろう がんかの みず
こころに かなり れいじょうの まつ


先生のお話によると、
良寛(1758~1831)は、江戸時代後期の曹洞宗の僧侶。
歌人、漢詩人、書家でもあった。
越後国出雲崎、名主の家に生まれた。
本名は山本栄蔵または文孝。四男三女の長子。

名主見習いを初めて2年目、良寛は18才で出家。
子どもの頃に学んだ曹洞宗光照寺にて修行をする。
22才、備中玉島(現・倉敷市)の円通寺の国仙和尚を
"生涯の師"として師事し、12年間の修業を重ねた。
国仙和尚から印可を賜った 翌年、良寛が34才の時
国仙和尚は良寛に「好きなように旅をするが良い」と
言い残して世を去り、良寛は諸国を巡る旅に出た。

父の訃報を受けても放浪の旅を続け、48才の時、
越後国国上村(現・燕市)国上山(くがみやま)にある
国上寺(こくじょうじ)の五合庵にて書等を学んだ。
五合庵での階段の上り下りがきつくなり、
61才の時、乙子神社境内の草庵に移り住んだ。
70才の時、島崎村(現・長岡市)の
木村元右衛門邸内に居を移し、74才で没した。


詩の意味は、
欲がなければ、すべてが足り、満足できる。
求めようとするから、何ごとにも行き詰ってしまう。

 意 可 = 心にかなう、心地良い、心に満足する
   可 = 佳   許可 = 良いと認める

あっさりとした野菜があれば飢えはしのげるし、
そまつな僧衣があれば、身にまとって過ごすことができる。

 淡 菜 = 淡白な野菜、あっさりした野菜、わずかな野菜
 衲 衣 = お坊さんの着る衣、僧衣
 
ひとり野山を歩きまわって鹿たちと連れとなり、
声高らかに歌って、村の子どもたちと仲良くする。
 
 糜 鹿 = 『糜』は粥の意味があり、ここでは
       『麋』 大鹿ではないかと思われる
 
耳をきれいに洗うのに ほど良い水が岩の下に流れ、
嶺の上の松を吹き抜ける風の音が心地良く聞こえ、
自分は大いに満足することができている。

 洗 耳 = 中国・三皇五帝の時代の故事。五帝の時代の4代目帝尭が、帝の位を許由(きょうゆ)に譲ろうとしてその旨を話すと許由には断わられた。そして、許由は『穢れたことを聞いた』として川の水で耳を洗い、箕山(きざん)に隠れ棲んでしまったという故事。ここでは、俗事の汚れを洗うことができる水があるという意。
     
         ◆  ◆  ◆

この詩は、五合庵時代に作られたと思われる。
良寛の最期を看取った弟子の貞心尼が
良寛の和歌を集めてまとめた『蓮の露』がある
   ・・・ とのことです。



        

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