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太宰 春台 の 『 寧楽 懐古 』

日本の律詩
07 /13 2018
  寧楽 懐古     太宰 春台

 南土 茫々たり 古帝城
 三条 九陌 自ら 縦横
 籍田 麦 秀でて 農人 度り
 馳道 蓬 生じて 賈客 行く
 細流 低く 垂れて 常に 恨を 惹き
 閑花 歴乱として 竟に 情 無し
 千年の 陳迹は 唯 蘭若 
 日暮 呦々として 野鹿 鳴く


  なら かいこ     だざい しゅんだい
なんと ぼうぼうたり こていじょう
さんじょう きゅうはく おのずから じゅうおう
せきでん むぎ ひいでて のうじん わたり
ちどう よもぎ しょうじて こかく ゆく
さいりゅう ひくく たれて つねに うらみを ひき
かんか れきらんとして ついに じょう なし
せんねんの ちんせきは ただ らんにゃ
にちぼ ゆうゆうとして やろく なく


先生のお話によると、
太宰 春台(1680~1747)は江戸時代中期の儒学者・経世家。
信濃国飯田生まれ。春台は号で、本名は純。
父が藩主から改易され、浪人となり一家で
江戸へ出た。春台は苦学して学問を修め、
15才で、但馬出石藩の松平氏に仕えた。
21才で官を辞し、10年間、畿内を遊学する。
30才で大阪にて結婚。32才で江戸に戻った。
友人の紹介で荻生徂徠の門に入り、
36才の時、本格的に研究・執筆活動に入り、
江戸の小石川に塾・紫芝園を開き、多くの門人を集めた。
1747年、68才、江戸にて没した。

詩の意味は、
(京都から)南の地にある奈良に来てみれば、
かつて栄えた平城京であるが、草が茫々、
(江戸時代から見ても)はるか遠い昔の古帝城。
南北に走る三すじの道、東西に走る九すじの道が
碁盤の目のように整然と縦横に整備されている。

 三 条 = 三本の通り、三本の南北に走る道
 九 陌 = 九本のあぜみち、九本の東西に走る道
 三条九陌 = たくさんの街路

天子が祭りごとのためお造りになった耕作地に
今は麦が伸びていて、農民が野面を歩いて行き、
天子がその昔、行幸などでお通りになった道には
行商人たちが行き交っている。

 籍 田 = 天子の耕作地
 馳 道 = 天子が行幸などの折に通られた道
 賈 客 = 物売、行商人  

かつて貴人たちが愛でたであろう柳が、昔と
変わらずに枝を低く垂らして、常に恨みを
惹き起こしているように思われる。そして、
心静かに咲いている花(しだれ桜か)は、古都を
なつかしむような感情は持っていないであろう。
 
 閑 花 = のどかに咲いている花
 歴 乱 = 咲き乱れているさま 
        
1000年前の旧跡は、ただ寺院しか残っていない。
日暮れになると、ゆうゆうと野生の鹿が鳴き、
その声が、いっそう侘しさをつのらせる。

 陳 迹 = 古跡、旧跡 
 蘭 若 = 梵語(古代インドの言葉)東大寺などの寺院
 呦 々 = 鹿の鳴き声(淋しい感じを強める)
  
         ◆  ◆  ◆

太宰 春台は、経世(経世済民)家として経学をさらに発展させ、
    日本に『経済』という言葉を広めた人物でもある
   ・・・ とのことです。


【 感 想 】
 現在の奈良は、落ち着いた古都の風格のある街並みですが
 江戸時代の頃には、草が茂って、荒れ果てた侘しい感じに
 なっていたのかな~と思いました。




   
     【日本の律詩】

   室 鳩巣 の 『琵琶湖上の作』






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