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柴野 栗山 の 『 富士山を 詠ず 』 

日本の律詩
07 /20 2018
 富士山を 詠ず     柴野 栗山

 誰か 東海の 水を 将って
 濯い 出す 玉芙蓉
 地に 蟠まって 三州 尽き
 天に 挿んで 八葉 重なる
 雲霞 大麓に 蒸し
 日月 中峰を 避く
 独立 原 競うこと 無く
 自ら 衆岳の 宗と 為る


  ふじさんを えいず     しばの りつざん
たれか とうかいの みずを もって
あらい いだす ぎょくふよう
ちに わだかまって さんしゅう つき
てんに さしはさんで はちよう かさなる
うんか たいろくに むし
じつげつ ちゅうほうを さく
どくりつ もと きそうこと なく
おのずから しゅうがくの そうと なる


先生のお話によると、
柴野 栗山(1736~1807)は、江戸時代の儒学者・文人。
讃岐国(現:香川県)で生まれた。家の近くにある
八栗山(やくりざん・307m)から号をつけた。
18才の頃、江戸に出て、湯島聖堂・昌平黌で学び、
32才の頃、徳島藩に儒学者として仕えるようになり、
徳島藩主・蜂須賀重喜と共に江戸に赴き、そのあと
京都にて学び、53才で昌平黌の教官となる。
50才を過ぎた頃、老中松平定信から呼び出され、
幕府に仕えるようになり、寛政の改革に伴って
『寛政異学の禁』では指導的立場となり、
朱子学以外を禁止する強い主張を通した。
湯島聖堂の最高責任者ともなり、74才にて没す。

詩の意味は、
いったい誰が、東海の水でもって、
玉の芙蓉のような富士山を洗い清めたのであろうか。
(天地万物を創造する神のなされたことのようだ)

 将って = 用いて
 芙 蓉 = 富士山の頂上には八つの峰があって
   八ひらの花びらをもつ蓮(=芙蓉)に例えている

大地に深くどっしりと広がり、三州(甲斐・相模・駿河)にまたがり、
その頂が天にまで高くそびえている様子は、まさに
芙蓉の八枚の花弁が重なり合っているかのように見える。

 蟠まる = 蛇がとぐろを巻く裾野がしっかり広がっているさま。
 三 州 = 甲斐(山梨)・相模(神奈川)・駿河(静岡)の三州
 插んで = 分け入って

雲や霞は、広大な裾野から湧き上がり、
日や月は、中央の峰(最高峰)を避けて通るかのようだ。
 
 蒸 し = 水蒸気などが湧き上がる
 中 峰 = 中央の高い峰 
        
すっくと聳える独立峰・富士山は、外に競うものも無く
自然と、多くの峰々の宗本山とも言える存在である。

  原 = そのさま
 衆 岳 = たくさんの山々、多くの峰々 
  
         ◆  ◆  ◆

『寛政異学の禁』で指導的立場となった 柴野 栗山は、
古学派など諸学派の反発がある中でも、その政策を
強く押し通した
   ・・・ とのことです。





     【日本の律詩】

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