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頼 山陽 の 『 述 懐 』 

日本の律詩
08 /24 2018
  述 懐     頼 山陽

 十有 三 春秋
 逝く 者は 已に 水の 如し
 天地 始終 無く
 人生 生死 有り
 安んぞ 古人に 類して
 千載 青史に 列するを 得ん


  じゅっかい       らい さんよう
じゅうゆう さん しゅんじゅう
ゆくものは すでに みずの ごとし
てんち ししゅう なく
じんせい せいし あり
いずくんぞ こじんに るいして
せんざい せいしに れっするを えん


先生のお話によると、
頼 山陽(1781~1832))は、江戸時代後期の儒学者。
大坂生まれだが、父が広島に転居したため広島で育つ。

父・春水が江戸に出たため、叔父の頼杏坪に学び、
17才で江戸に遊学、昌平黌で学ぶ。帰郷後、
20才で結婚(妻・淳子)、男子一人(頼 聿庵)生まれるが、
脱藩を企て上洛した。叔父・杏坪によって京都で発見され、
広島へ連れ戻され、廃嫡の上、20~24才までの4年間
自宅に幽閉される。この間に、山陽は歴史と読書に専念し
著述に明け暮れ、『日本外史』の基礎を確立した。

31才、父の友人であった儒学者・菅茶山の廉塾の塾頭になる。
32才、京都に出て塾を開き、二度目の結婚(梨影)をする。
      (男子二人、頼 鴨厓、頼 三樹三郎)
46才、武家の時代史とも言える『日本外史』を完成させる。
51才ごろから健康を害し、容態が悪化する中でも著作に専念。
1832年、53才で死去した。

詩の意味は、
10年と3年、年月(春秋)がたちまちのうちに
過ぎ去ってしまった13年間・・・ 今、14才になって
振り返ってみると、歳月は川の水のように流れ去り、
二度と戻っては来ない。

 春 秋 = 年 月
 
天地の歴史が、これまで どれ位の長きに渡って
続いているのかは、誰も知ることはできないが、
人は生まれたら、必ず、死ななければならない。
これが約束ごとであり、人の運命でもある。

 始 終 = 始まりと終わり
 
そうであるならば、昔の文人・偉人たちのように、
精進を重ねて、何とか、1000年後の歴史にも
自分の名を残せるようにしたいものだ。
(これが、これから自分が生きていく目標である)
 
 古 人 = 昔の文人・偉人たち
 青 史 = 歴史書
 安 得 = 何とかして○○ したい
        
         ◆  ◆  ◆

これは、頼 山陽が14才のときに作った詩で、
父・春水が感心して、知人らに見せた。
寛政異学の禁の中心となった柴野栗山からも高く評価され、
山陽が世に出る登竜門にもなった詩である
   ・・・ とのことです。


◆ 頼 山陽 の 絶句
   不識庵機山を撃つの図に題す
   楠公子に訣るるの図に題す    
   舟大垣を発し桑名に赴く   




     【日本の律詩】

   蒲生 君平 の 『 述 懐 』







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