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王 維 の 『元二の安西に使するを送る』

中国の絶句
09 /07 2019
絶句編テキスト
2019年9月7日 絶句編 111ページ  

   元二の安西に使するを送る      王 維 
 
 渭城の 朝雨 軽塵を 浥す
 客舎 青々 柳色 新たなり
 君に 勧む 更に 尽せ 一杯の 酒を
 西のかた 陽関を 出ずれば 故人 無からん

   
 げんじのあんせいにつかいするをおくる   おう い
いじょうの ちょうう けいじんを うるおす
かくしゃ せいせい りゅうしょく あらたなり
きみに すすむ さらに つくせ いっぱいの さけを
にしのかた ようかんを いずれば こじん なからん

テキストの通釈によると、
渭城の町には朝の雨が降って、軽い塵ぼこりを
しっとりと濡らしている。旅館の前の柳は
洗われて、青々とした葉の色を見せている。
さあ、君、ここでもう一杯酒を飲みたまえ。
西の方、あの陽関を出てしまえば、もう共に
酒を酌みかわす友もいないだろうから
 
     ・・・とのことです。

先生のお話によると、
王維 は、699年、または701年に生まれ、61才で没。
701年生まれとすると21才で進士に合格。
故郷は山西省太原(たいげん)である。
王維は31才で妻を亡くし、初唐の宗之問から買い取った
広大な敷地の別荘・輞川荘で、隠棲していた時期があり、 
裴迪と唱和して『輞川20景』の詩を作っている

盛唐を代表する三大詩人のうち、
李白が詩仙、杜甫が詩聖、王維が詩仏と言われるが、
王維のお母さんが熱心な仏教徒で、その影響を受けている。  
また、王維は南画の祖でもあり、後に北宗の蘇東坡(蘇軾)が
王維のことを、詩中に画あり、画中に詩あり と 評している。   
 
元 二 : 元は姓、二は排行(はいこう)。排行とは、同姓の
   一族の中で同じ世代に属する者(兄弟やいとこ)が、
   生年順につける番号。一番上は『大』といい、
   以下、二、三・・・・・とつけていく。
安 西 : 安西都護府(とごふ)。
   今の新疆(しんきょう)省・吐魯蕃(とるふぁん)にあった。
渭 城 : 長安の渭水をはさんだ対岸の町。
   咸陽(かんよう・秦の時代の都)の別名。長安から西へ行く
   街道の最初の宿場となる。当時の人々は、前の日に
   ここまで見送りに来て、夜、宴会を開き、翌朝
   旅だつ人を送るのが、習わしであった。
軽 塵 : 軽い塵ぼこり。この辺りは黄土地帯で
   きわめて細かい塵ぼこりが立つのである。
客 舎 : 旅館。
青 々 : 柳の葉の色が青いこと。
柳色新 : 中国では、別れに際して柳の枝を手折って、
   はなむけにする習わしが古くからある。柳→留の
   音通によって「ひきとめる」の意を表す、とか、
   枝を環にするところから、環→還の音通によって
   早く「おかえり」の意を表すとかの説がある。
   つまり、柳は別れの象徴である。
陽 関 : 甘粛省敦煌県の西南130里にある関所。
   玉門関の南にあった。
故 人 : 親友。古くからの友人。 

     ★  ★  ★

★結句の『陽関を出ずれば故人無からん』を、
 中国では、≪陽関三畳≫を三回繰り返して詠い
 別れの歌として、日本の≪蛍の光≫に相当する。
 この詩は、その意味でも有名である。
★詩吟で詠う場合は、全詩を詠ってから
『無からん無からん、故人無からん、西のかた
 陽関を出ずらば故人無からん』と繰り返すようである
    ・・・ とのことです。


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