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元田 東野 の 『 中 庸 』

日本の絶句
04 /22 2018
絶句編テキスト

2018年4月22日 絶句編 75ページ  

   中 庸      元田 東野 
 勇力の 男児は 勇力に 斃れ
 文明の 才子は 文明に 酔う
 君に 勧む 須らく 中庸を 択び 去くべし
 天下の 万機は 一誠に 帰す
   
 ちゅうよう    もとだ とうや
ゆうりょくの だんじは ゆうりょくに たおれ
ぶんめいの さいしは ぶんめいに よう
きみに すすむ すべからく ちゅうようを えらび ゆくべし
てんかの ばんきは いっせいに きす


テキストの通釈によると、
勇気をたのみ腕力を誇るものは、結局は粗暴と
無分別によって身を滅ぼしてしまうものであり、
ただ文明に憧れる才子は、文明に心酔するあまり、
わが国固有の美点、長所を忘れて無節操、
軽薄な人物となりかねない。
そこで君にぜひ勧めたいことは、常に不偏中正の道をえらび、
これに則した考えをもち、行動をとることである。
『中庸』にあるごとく、天下のあらゆることが起こる
微妙な点は、すべてただ一つの誠によるのであるから、
それを失わないようにしなければならない
 
     ・・・とのことです。

先生のお話によると、
元田 東野(1818~1891)は、幕末から明治にかけての漢学者。
肥後熊本の生まれ。本名は永孚(ながざね)
父が多忙であったため、祖父により
厳しい教育を受け、「唐詩選」「論語」を学び、
11才の時に藩校時習館で学んだ。

1858年、家督を継ぎ元田家8代目となり、
1869年、東大江村に私塾「五楽園」を開いた。
翌年(明治3)、藩主の侍読に推挙され、
翌々年、藩命で上京し、明治天皇の侍読となり、
以後20年にわたって天皇への進講を行うことになる。
1891(明治24)年、従二位・男爵を授けられた
翌日、病のため、72才で死去。

中 庸 : 中国の古典『四書』の一つ。
   編者は孔子の孫の子思(しし)で、儒学の基本をのべ、
   誠の道を説いたもの。それは左右に偏せず、過不足なく
   時代にも状況にも支配されぬ中正の道である。
    ※ 四書・五経=中国の古典
文 明 : 人の知恵が進み、世の中が便利に、
   また豊かに(物質的に)なること。これは物理的なことで、
   これ自体は喜ぶべきことであるが、当時は【文明開化】と
   称して無条件に西洋文化に憧れ、いわゆる『欧化時代』を
   現出し、伝統的なものをことごとく否定する傾向があった
   ので、それらの軽薄な人士を戒めたのである。
択 去 : 「去」は助詞。動作のおもむく勢いを示す。
万 機 : 万事。全ての事の微妙な点。
   「機」とは、働きの起こるところの意。
     ・・・ とのことです。



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