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菊池三渓 の 『新涼書を読む』

日本の絶句
04 /22 2018
絶句編テキスト

2018年4月22日 絶句編 76ページ  

   新涼書を読む      菊池三渓 
 秋は 動く 梧桐 葉 落つるの 初
 新涼 早く 已に 郊墟に 到る
 半簾の 斜月 水よりも 清く
 絡緯 声中 夜 書を 読む
   
 しんりょうしょをよむ    きくちさんけい
あきは うごく ごどう は おつるの はじめ
しんりょう はやく すでに こうきょに いたる
はんれんの しゃげつ みずよりも きよく
らくい せいちゅう よる しょを よむ


テキストの通釈によると、
秋の気配はすでに青桐の葉の落ちそめるとき感じられ、
新涼の気は早くも郊外の野に忍び寄っている。
中空から斜めに簾の半分ほどを照らした月の光は、
水よりも清らかに澄んでいる。
まさに灯火親しむの候である。聞こえるものは
ただ『くつわむし』の声、それを聞きながら
書を読むことは最高の楽しみである。
 
     ・・・とのことです。

先生のお話によると、
菊池三渓(1819~1891)は、幕末から明治にかけての漢学者。
菊池家は紀州徳川家に仕え、曽祖父の代より儒学をもって仕えた

1858(安政5)年、徳川家茂が将軍就任の折、侍講となり江戸に移った。
1859(安政6)年、家茂に従って上洛、奥儒者に抜擢されたが、
1864(元治元)年、政変のため左遷され、その後、辞職した。
1865(慶応元)年、46才で下総国に逗留し、筑波山に登っている。
また、宗道村名主の隠宅を借りて塾を開く。

明治になって、下館藩、笠間藩、土浦藩などに招かれ、講義。
明治4年、東京、翌年、京都に移り、出筆活動。
1881(明治14)年、東京に戻り、警視庁御用掛となり、
翌々年、大阪府中学一等教諭を務めた後、京都に戻った。

1891(明治24)年、中国地方、北陸地方を歴訪中、
脳溢血により小浜で、73才にて亡くなる。

            

新 涼 : 初めて催す涼気。初秋の涼しさ、爽やかさ。
梧 桐 : 青桐。日本では多く校庭や街路に植えられるが、
   中国では庭木になくてはならないとされる。
郊 墟 : 郊外の野。
半 簾 : 半分おろした簾。
絡 緯 : くつわむし。こおろぎと見る説もある

★第13代将軍徳川家定が病弱で跡取りなく亡くなったため、徳川家茂が第14代将軍就任の折、菊池三渓は家茂の侍講となって江戸に移った。この時、家茂は12才、菊池三渓は40才であった。家茂は16才で皇女和宮と結婚。17才、18才、19才で3度の上洛。菊池三渓はこの上洛にも従っていた。家茂は20才で、長州との戦いで大敗する最中に大阪城で亡くなった
     ・・・ とのことです。





     【 日本の絶句 】
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