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河野鉄兜 の 『 芳 野 』

日本の絶句
04 /25 2018
絶句編テキスト

2018年4月25日 絶句編 78ページ  

   芳 野      河野鉄兜 
 山禽 糾断 夜 寥々
 限り無きの 春風 恨 未だ 銷せず
 露臥す 延元 陵下の 月
 満身の 花影 南朝を 夢む
   
 よしの    こうのてっとう
さんきん きゅうだん よる りょうりょう
かぎりなきの しゅんぷう うらみ いまだ しょうせず
ろがす えんげん りょうかの つき
まんしんの かえい なんちょうを ゆめむ


テキストの通釈によると、
山中の鳥の叫びが、かん高く響き渡り、
しんしんと夜は更けていく。吹きやまぬ春風も、
いまだに晴れがたい後醍醐天皇のご無念が
こもっているようで、凄まじく感じられる。
せめて今宵は御霊をばお慰め申そうと、
陵(みささぎ)のほとりで月光の下に野宿をすれば、
白々と咲く桜の花影を身にいっぱい映しながら、
いつしかまどろんでしまい、南朝のことをば
夢見ていたのである
 
     ・・・とのことです。

先生のお話によると、
河野 鉄兜(1826~1867)は幕末の儒者、漢詩人。
名は絢夫または羆(しぐま)
播磨国網干村(現在の姫路市網干区)出身。
医者の家に生まれたが、漢詩の才能に優れ、
15才の時、一夜に100首を詠じたという。

初め、讃岐丸亀の吉田鶴仙に学び、20才の頃、
京都で梁川星巌に詩を学んだ。のちに江戸出て見聞を広め
1852年28才で林田藩(姫路市林田町)に仕官して
藩校《致道館》の儒官になった。攘夷論者ではなかったが
頼鴨涯などの勤王の志士と交わった。
30才で林田で家塾を開いた。博学で絵画・和歌などにも
通じていて、話し上手のため門人も集まってきた。
全国各地に遊学、生涯、家庭を持たず、43才にて没す。

            

山 禽 : 山の小鳥。
糾 断 : 叫んで。
   「断」は絶える意ではなく、意味のない助辞。
寥 々 : 淋しいさま。ここでは夜の更けたさま
 銷  : 消に同じ。けすこと。とくこと。ちらすこと。
露 臥 : 野宿する。
延元陵 : 後醍醐天皇の御陵で、いわゆる塔ノ尾陵
     ・・・ とのことです。



★「芳野三絶」は、吉野山の桜と南朝への思いを詠った漢詩のうち、
 代表的な七言絶句、つぎの3首をいう。(芳野は吉野の雅称)
   梁川星巌の『芳野懐古』
   藤井竹外の『芳野懐古』

   河野鉄兜の『 芳 野』

  ※頼杏坪の「遊芳野(芳野に遊ぶ)」を入れることもあるとのこと。





     【 日本の絶句 】
   頼 鴨涯 の 『 春簾雨窓 』








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