FC2ブログ

城野静軒 の 『舟中子規を聞く』

日本の絶句
12 /26 2017
絶句編テキスト
2017年12月26日 絶句編 61ページ  

   舟中子規を聞く     城野静軒 
 八幡 山崎 春 暮れんと 欲す
 杜鵑 血に 啼いて 落花 流る
 一声は 月に 在り 一声は 水
 声裡の 離人 半夜の 舟
   
 しゅうちゅう しきを きく   きの せいけん
やわた やまざき はる くれんと ほっす
とけん ちに ないて らっか ながる
いっせいは つきに あり いっせいは みず
せいりの りじん はんやの ふね


テキストの通釈によると、
春も過ぎようとする頃、京都から大阪に向って下る
舟中から淀川を見渡すと、かなたの山は天王山か、
すると、こなたは男山。山裾に眠る八幡・山崎を通過中
かと思う折しも、血を吐くようなほととぎすの声、
川面には夜目にも白く落花が静かに流れてゆく。
「一声は月が啼いたか」と思われ、
一声は水中から発したようでもある。
ほととぎすの声は、実に聞くものの腸も断たんばかりに
悲しませるものであるが、まして故郷を離れているこの
身にとっては夜半の舟中での感慨は、ひとしお痛切なものがある

     ・・・とのことです。

先生のお話によると、
城野静軒 (1800~1873)は、江戸後期から明治にかけての学者。
熊本県菊池郡隈府中町に生まれた。幼い頃から学問を好み、
書道にも優れ、細川家や家老有吉家の書の指導も任されていた。
静軒はまた、武芸にも秀でて、武術でも多くの弟子を取った。

静軒は、地域の賛同者十数名とともに組合を立ち上げ、
倹約しあって貯蓄したお金で、組合員の不慮の災難や
飢饉で困窮した人々へ手当てを施す救済組織を築いて
藩から褒章を受けたとのこと。
1873(明治6)年、74才でその生涯を終えた。
 
子 規 : ほととぎす。承句の杜鵑に同じ。
   夜明け前に啼くことが多い。口の中が赤い。
八幡山崎 : 天王山の東麓にあって、東は淀川に臨み、
   かつては京都を結ぶ交通の要衝であった。   
杜鵑啼血 : ほととぎすの啼き声は哀切で、
   血を吐くように聞こえるのでいう。
一声在月 : 藻風(江戸時代の俳人)の
   『さてはあの月が啼いたかほととぎす』の句を踏まえている。
    それがまた後徳大寺実定(さねさだ)の百人一首81首
   『ほととぎす啼きつる方を眺むればただ有明の月ぞ残れる』
    の歌からきている。
声 裡 : 声のする中。
離 人 : 故郷を離れた人。旅人。ここでは作者のこと。

★ 静軒は、同時代の横井小楠と親交があり、
 「小楠堂詩草」に横井小楠と唱和した詩が出ている
         ・・・ とのことです。

          

こちら によると、静軒の『人柄はとても陽気で、筆を執るのは大抵愉快な気分の時でした。死の間際にも数十字を書き、書き終わって筆を置き、「愉快!」と叫んで息を引き取ったといいます』とのことです。




    【 日本の絶句 】
   徳川景山 の 『 大楠公 』






スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

 詩吟もえ子

お稽古に参加して七年目です。
皆さまもご一緒にいかがですか?