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吉村寅太郎 の 『舟由良港に到る』

日本の絶句
07 /21 2018
絶句編テキスト
2018年7月21日 絶句編 87ページ  

   舟由良港に到る      吉村寅太郎 
 首を 回らせば 蒼茫たり 浪速の 城
 蓬窓 又 聴く 杜鵑の 声
 丹心 一片 人 知るや 否や
 家郷を 夢みず 帝京を 夢む
   
  ふねゆらこうにいたる    よしむら とらたろう
こうべを めぐらせば そうぼうたり なにわの しろ
ほうそう また きく とけんの こえ
たんしん いっぺん ひと しるや いなや
かきょうを ゆめみず ていきょうを ゆめむ

テキストの通釈によると、
(今しも船は淡路の由良の港に着いた。)
首をめぐらして振返れば、船出したあの大阪の町も
遥かに遠く、ぼんやりと霞んではっきり見えない。
(思えば、事は志と違い、無念にも故郷へ護送される身となった。)
とま舟の窓で血を吐くようなほととぎすの声を聞く私の心は重く苦しい。
一体、今の世に誰がこの胸中の一片のまごころを知ってくれようか。
今夜もこの船中で見る夢は故郷のことなどではなくて、
天皇の居られる京の都のことである。
(こうした気持は分かるものではない)
 
     ・・・とのことです。

先生のお話によると、
吉村 虎太郎(1837~1863)は、幕末の土佐藩の志士。
本名・重郷(しげさと)、号・黄庵、寅太郎は通称である。
12才で父の跡を継いで、庄屋となった。

城下にて武市半平太に剣術を学び、尊攘思想に傾倒、
1861年、武市半平太が結成した土佐勤王党に加盟。
その後、脱藩して、京都にて、寺田屋事件で捕えられ、
身柄を土佐藩に引き渡されて、国元へ送還された。
この詩はその途中、由良港に立ち寄った折に書かれた。
土佐では、8か月間、投獄された後、釈放された。

1863年、藩から自費遊学の許可を得て京へ上る。
尊皇攘夷運動が最高潮に達していた時期であった。

寅太郎らは、孝明天皇の大和行幸の先駆けとなるべく、
公卿中山忠光を主将とし、自ら総裁となり天誅組を組織し
大和の国で挙兵。幕府五條代官所を襲撃したものの
直後に起こった京都での八月十八日の政変により、
逆賊とされ、吉野鷲家口で幕府軍による包囲に遭い
一斉射撃を浴びて、天誅組は壊滅。
虎太郎も、絶命した。享年27才であった。

虎太郎、辞世の句
  吉野山 風に乱るる もみじ葉(楓葉)は
        我が打つ太刀の 血煙と見よ


天誅組の挙兵は、短期間で失敗に終わったものの、
幕府の威光の失墜をも進行させることとなったと言える。
戊辰戦争はこの5年後となる。

その後、1877(明治10)年に、名誉の回復。
1891(明治24)年、武市半平太・坂本龍馬・中岡慎太郎と共に
正四位が贈られ、後に「土佐四天王」と呼ばれることになった。

   ◆   ◆   ◆

由良港 : 淡路島の東岸にある港。
蒼 茫 : ぼんやりとして遥かなさま。
浪速城 : 大阪の町。
蓬 窓 : とまをかけた舟の窓。
杜 鵑 : ほととぎす (初夏の鳥)
帝 京 : 天子の都。京都
     ・・・ とのことです。




     【 日本の絶句 】
   西 道僊 の 『 城山 』








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