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乃木希典 の 『金州城下の作』

日本の絶句
08 /19 2018
絶句編テキスト
2018年8月19日 絶句編 91ページ  

   金州城下の作     乃木希典 
 山川 草木 転た 荒涼
 十里 風 腥し 新戦場 
 征馬 前まず 人 語らず
 金州城外 斜陽に 立つ
   
  きんしゅうじょうかのさく   のぎまれすけ
さんせん そうもく うたた こうりょう
じゅうり かぜ なまぐさし しんせんじょう
せいば すすまず ひと かたらず
きんしゅうじょうがい しゃように たつ

テキストの通釈によると、
山川草木(すべて弾丸のあとも生々しく)あたり一面、
見れば見るほど荒れ果てて、凄まじいありさまである。
十里四方の間を血なまぐさい風が吹いて、この戦争直後の
戦場は実に痛ましい限りである。我が乗る馬は
進もうとせず、だれもかれもみんな黙って口もきかない。
自分は今、赤々とした夕日に照らされて、金州の町外れで
無限の感慨に堪えながら馬をとどめているのである。 
     ・・・とのことです。

        ◆   ◆   ◆

先生のお話によると、
乃木希典(1849~1912)は、長州藩の支藩である長府藩の
藩士の三男として、江戸の長府藩上屋敷に生まれた。
長兄、次兄は夭折していたため世嗣となる。10才まで
江戸で生活したのち、長府(現・山口県下関市)に転居。

11才で、漢学者の結城香崖に入門。弓術、西洋流砲術、
槍術および剣術なども学んだ。幼少より泣き虫で、妹に
いじめられて泣くこともあったという。

1864年16才、学者となることを志して父と対立し、出奔。
長府から70km以上離れた萩まで歩いて行き、親戚筋の
兵学者・玉木文之進への弟子入りを試みた。当初は、
弟子入りを拒絶されたが、玉木家に住むことを許され、
文之進の農作業を手伝いながら、学問を学び、のちには
萩藩・明倫館に通学する一方、一刀流剣術も学び始めた

翌年、第二次長州征討が開始されると、長府へ呼び戻され、
長府藩報国隊に属し、小倉口での戦闘(小倉戦争)に加わった。
このとき、奇兵隊の山縣有朋の下で戦い、小倉城一番乗りの
武功を挙げたのち、明倫館の文学寮に入学(復学)した。

明治4(1872)年、大日本帝国陸軍の少佐に任官され、
明治9年、福岡県秋月で起きた秋月の乱にて反乱軍を潰走させる。
その直後に起きた萩の乱では、弟の正誼は反乱軍に加わり戦死。
学問の師である玉木文之進は、門弟の多くが反乱軍に参加した
責任をとるため自刃。乃木は萩の乱では連隊を動かさなかった。

明治10年、西郷隆盛ら挙兵の動きが政府側にも伝わり、
政府軍の連隊長として従軍するが、薩摩軍に連隊旗を奪われ、
生涯の恥と自責の念を抱いて、いくども自殺を図ろうとした。
西南戦争時、中佐となり、翌年、東京の歩兵第一連隊長に
抜擢された。「静子」と結婚。

明治20年1月から峪年6月まで、ドイツ帝国へ留学。
明治25年、10か月の休職して復職。東京の歩兵第1旅団長となり、
明治27年、日清戦争が始まると、出征。武功を挙げ、中将に昇進。
明治29年、台湾総督に任じられ、翌年、台湾総督を辞職。
明治31年、香川県善通寺に新設された第11師団長として復職。
明治34年、休職を申し出て帰京し、栃木県那須野にて農耕。
明治37年、動員令が下り、留守近衛師団長として復職したのち
  第3軍の司令官となり、日本を発つ直前の長男・勝典が戦死。
  
第3軍は旅順攻撃を開始したが、十分な補給が行われず、
大本営と満州軍司令部との異なる指示による混乱もあったが、
明治38年1月、旅順要塞は陥落させることができた。
その後も第3軍の奮戦によって、奉天会戦に勝利し、帰国。

明治40年、明治天皇の勅命により、学習院院長に就任。
明治41年、裕仁親王(後の昭和天皇)が学習院に入学すると
   勤勉と質素を教え、裕仁親王人格形成に影響を与えた。
大正元年、明治天皇の大喪の礼が行われた日の夜、
   妻・静子とともに自刃して亡くなる。享年64(満62才)没。

          ★  ★  ★

金州城 : 満州(中華人民共和国東三省)遼東半島の南端、
   旅順港の背後の要地。南山の激戦地で、日本軍は
   ここから南下して旅順を攻撃した。乃木将軍の長子
   陸軍歩兵中尉 乃木勝典の戦死したところである。
   第二軍がこの地の強敵を撃退して占領したのは、
   明治37年5月26日であった。
     城 = 町のこと
 転  : いよいよ。ますます。
荒 涼 : 荒れ果てて凄まじいさま。
新戦場 : 「新」には戦争が終わった直後の意が込められている。
   長男がここで戦死している。
征 馬 : 軍馬。もとは旅行用の馬を言ったが、のちに
   戦争に用いる馬の意にも使われるようになった。
不 前 : 「前」は「進」と同意。
立斜陽 : 夕日を受けながら馬をとどめる。

★ この詩は、戦いが終わって10日後位に行って作られた
     ・・・ とのことです。


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