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阿倍仲麻呂の伝記 (その2)

あれやこれ
01 /05 2017
阿倍仲麻呂の伝記 からの 続きです。
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阿部仲麻呂が 遣唐留学生として 唐に渡ったのは、
養老元年【717年】、総勢557人だった。

唐に渡った仲麻呂は太学に学び、科挙に及第して校書となり、
崔日知の推挙により玄宗皇帝の側近の官となった。

   ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

仲麻呂が唐に渡って16年が過ぎた 天平5年【733年】4月
天平の遣唐使ら総勢594名を乗せた4艘の船が
唐に向けて出航し、翌年4月に玄宗皇帝に土産物を献上した。

その年【734年】10月、日本に帰る4艘を暴風雨が襲った。
そのうちの一艘は崑崙国に漂着。 乗っていた115人は
捕虜となったり、殺されたり、熱病によって死亡したりして、
4名だけが生き残り、崑崙王に謁見。2年後、唐に戻れた。

その4名は阿倍仲麻呂のとりなしで、玄宗皇帝に
渤海国を経て日本に帰る許可と助力を願い出た。
仲麻呂は玄宗皇帝の側近の官となっていたため
4名の帰国のための援助を懇請できる立場にいた。

    ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

仲麻呂は、天平の遣唐使らと共に帰国したいと願ったと
思われるが、玄宗皇帝による帰国の許可が下りなかった。
その折に作った漢詩が 『無題』 である。

この詩には、玄宗皇帝の寵愛に対する感謝の念が述べられ、
皇帝への忠を全うすれば、父母の恩に報いることができない。
忠と恩とが相矛盾するなか、自分の帰国がいつになるか
わかないことへの不安を述べている。
4名の帰国に尽力した仲麻呂は、
どのような気持ちで4人を送り出したのであろうか。

  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

仲麻呂が唐に渡って36年、53才になっていた
天平勝宝5年(753年)の春、20年ぶりに遣唐使が派遣され、
玄宗皇帝から仲麻呂に帰国の許可が下りた。
仲麻呂は秘書監、衡尉卿も兼務、位は従三品と思われる。

仲麻呂の帰国に当たって送別の宴席で披露された詩には、
 長大な序文があり、仲麻呂への思いがあふれる 王維の詩
 仲麻呂が長く仕えた 玄宗皇帝の 日本の遣唐使を送る詩
 長安を辞去する 仲麻呂自身の思いを伝える詩
 帰国の途中に遭難した仲麻呂の死の報を受けた 李白の詩
   ・・・などがある。

李白と王維、仲麻呂の三人は同年生まれということになる。
(三人の生誕年については諸説あるが1~3年の誤差に留まる)
李白と仲麻呂が出会ったのは40代の前半とみられる。

    ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

多くの人に別れを惜しまれた阿部仲麻呂でしたが、
日本への帰国の途中、暴風雨に遭い、ベトナムに漂着し、
陸路、再び唐に戻った時の心境はどのようなものだったでしょう?

続きは また 後ほど・・・



  【あれやこれ】 
  阿倍仲麻呂の伝記








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