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王 昌齢 の 『西宮秋怨』

中国の絶句
03 /08 2017
続絶句編 250  
 2017年2月24日 続絶句編 123ページ

   西宮秋怨    王 昌齢
 芙蓉も 及ばず 美人の 粧い
 水殿 風 来って 珠翠 香し 
 却って 恨む 情を 含んで 秋扇を 掩うことを 
 空しく 明月を 懸けて 君王を 待つ

    せいきゅう しゅうえん    おう しょうれい
     ふようも およばず びじんの よそおい    
     すいでん かぜ きたって しゅすい かんばし
     かえって うらむ じょうを ふくんで しゅうせんを おおうことを
     むなしく めいげつを かけて くんのうを まつ


テキストの通釈によると、
はすの花の美しさも、この美しい人の粧いの姿には及びもつかない。
折から、水辺の御殿に風が吹き渡って、美人の珠翠の髪飾りが芳香を放つ。
痛ましいことに、彼女は思いを込めて秋の扇を覆い隠し、
空しく名月にわが身を照らさせつつ、
有るはずもないわが君のお成りを待っている。


先生のお話によると、
  王 昌齢 は、盛唐の詩人で長安の生まれ。
  30才で進士になったが、品行が悪くて位を落とされたりもしている。
  河南省・氾水の尉(警察官)から中央の校書郎に移る。
  江寧(江蘇省)丞(長官を補佐する役)から竜標(貴州省)尉に左遷。
  詩人としては優れていたが、役人としては位が上がらなかった。
  安禄山の乱の兵火を避け、郷里に帰り、
  58才で、刺史・閭丘暁に嫌われて殺された。
  
  王 昌齢は、辺塞詩、送別詩、宮詞などを作っている。
   『西宮秋怨』は、宮中の女性を歌った宮詞で、
  前漢11代の皇帝・成帝の側室でもあり、
  美人で才媛であった 班婕妤(はんしょうよ)を歌っている。
  班婕妤は、班 況 の娘で、婕妤は女官の位。
  秋扇とは、扇は秋になると打ち捨てられるため
  寵を奪われた女性に例える。
  成帝の寵愛が、趙飛燕に移ってしまった。
  趙飛燕は正妻から側室となり、妹の昭儀も側室となった。
  寵を奪われた班婕妤は、長安宮(長信宮・西宮)つきの
  侍女として、成帝の皇太后にかしづくことになった
  ・・・とのことです。

こちら によると、
 王 昌齢 を殺した 閭丘暁は、安禄山軍の侵攻に対し、
 唐側の張巡を救援しなかった罪で、唐の張鎬に杖殺された。
 この時、閭丘暁は「親がいるので、命を助けて欲しい」と言ったが、
 張鎬は、「王昌齢の親は誰に養ってもらえばいいのか?」と反論し、
 閭丘暁は押し黙ったと伝えられる・・・とのことです。

 品行が悪くて位を落とされたという 王昌齢 ですが、
 きっと良い面もたくさん持っていたのかもしれませんね。




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