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嵯峨天皇の 『山の夜』

日本の絶句
03 /18 2017
絶句編テキスト

2017年3月18日 絶句編 24ページ  

   山の夜    嵯峨天皇
 
居を 移して 今夜 薜蘿に 眠る
夢裏の 山鷄 暁天を 報ず
覚えず 雲 来って 衣 暗に 湿う
即ち 知る 家は 深渓の 辺に 近きを
   
       やまの よる   さがてんのう
     きょを うつして こんや へいらに ねむる
     むりの さんけい ぎょうてんを ほうず
     おぼえず くも きたって ころも あんに うるおう 
     すなわち しる いえは しんけいの ほとりに ちかきを


テキストの通釈によると、
今夜は久し振りに宮中から出て山中に宿る。
あたりは柾の葛や『さるおがせ』が垂れ下がった
木深いところ、心も落着き旅の疲れもあって、
ぐっすり眠ったことである。
夢がまだ覚めやらず、うとうとしている時に
山鳥のしきりと鳴く声が聞こえて、
はや夜明けとなったが、いつの間にか
曇り空となり、知らぬうちに衣も湿って、
まもなく、なるほどこの家は深い谷川の近くに
あるのだ、ということが分ったのである。


先生のお話によると、
嵯峨天皇(786~842)は52代天皇で、
桓武天皇(50代)の第二皇子。
24才で即位し、在位15年。
39才で譲位し、57才で崩御。
『山の夜』は、譲位してまもなくの頃、
天長(824~834)初め、40才頃の作である。

薜蘿へいらは、柾まさきの葛かずら(薜茘)と蔦葛つたかずら(女蘿)のこと。
薜茘へいれいは、常緑の潅木で、乾かして澱粉を採る。
女蘿にょらは、苔の一種で「さるおがせ」「さがりごけ」ともいう。
漢方では尿を通じ、痰を取る効があるとする。

嵯峨天皇は、空海、橘 逸勢とともに三筆のひとりで、
仏教文化の交流をはかり、90余の漢詩を遺し、
平安時代を代表する書家としても知られている
  ・・・とのことです。


★嵯峨天皇に位を譲った平城天皇は上皇となり、
 いったんは譲った権力を取り戻そうと、
 藤原薬子らと結んで乱を起こしたが失敗(薬子の乱)
 こちら に よると、このあと 嵯峨天皇は、
 乱などにすばやく対処できるよう
 検非違使を設けたり、大宝律令の手直しをした。
 朝廷の経費を節約するため、
 《皇族の多数に姓を賜り臣籍降下させた。
 嵯峨天皇の子で源姓を賜ったものと
 その子孫を嵯峨源氏という》 また、
 《弘仁9年(818年)、弘仁格を発布して死刑を廃止した。
 中央政界における死刑の廃止は以後保元の乱まで
 338年間続いた》 ・・・ とのことです。


  
  【 日本の絶句 】
 空海の『後夜仏法僧鳥を聞く』 


 








 
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