FC2ブログ

細川頼之 の 『 海 南 行 』

日本の絶句
04 /19 2017
絶句編テキスト

2017年4月19日 絶句編 28ページ  

   海 南 行    細川頼之
 
人生 五十 功 無きを 愧ず
花木 春 過ぎて 夏 己に 中ばなり 
満室の 蒼蠅 掃えども 去り難し
起って 禅榻を 尋ねて 清風に 臥せん
   
       かいなんこう   ほそかわよりゆき
     じんせい ごじゅう こう なきを はず
     かぼく はる すぎて なつ すでに なかばなり
     まんしつの そうよう はらえども さりがたし 
     たって ぜんとうを たずねて せいふうに がせん


テキストの通釈によると、
すでに自分は「人生五十」というその齢を過ぎているのに、
さしたる功績もないのは顧みて恥ずかしい。
今は花咲く木々も春の装いを終えて夏となり、
その夏もはや半ばとなった。
 (わが人生も、はや盛りが過ぎたことを痛感する)
どこから来るのか青蠅どもが、部屋一杯に飛び回り、
うるさく人にたかり追い払うことができない。
 (多くの小人どもが、人をざん言して勢力を
  張っているが、追い払うことができない)
一つ、このあたりでここから立ち上がって、
部屋のそとで座禅椅子のあるところを探し、
清らかな涼しい風に吹かれながら、
その上で横になることとしようか。
 (小人の満ちているうるさい政治の場を去り、
 静かな田舎の役人として気楽な余生を送りたい)


先生のお話によると、
細川頼之(1329~1392)は、南北朝時代から
足利時代にかけての北朝の武士。64才没。
三河の国、細川郷に生まれる。父、頼春の嫡男。

足利尊氏、二代・義詮(よしのり・よしあきら)、
三代・義満の時代に、室町幕府の官領として
細川家・斯波家・畠山家とともに足利幕府を支えた。
二代将軍・義詮の時代に、頼之の従兄弟である
細川清氏が南朝方についたため、これを
讃岐・白峰城に攻め、四国を治めることになった。

義詮が将軍職をゆずるに当たって、
義満がまだ13才であったため、
細川頼之が後見人となるが、きびしく、
また周辺の御家人との思惑や讒言などもあり、
義満から嫌われ、四国・讃岐に追い返された。
海南とは、四国の讃岐(香川県)のことで、
海南行とは、讃岐に向って帰るときのこと。
蒼蠅は、青蠅で、讒言する小人にたとえている。
禅榻は、禅家の長椅子で、座禅に用いる。

5年後、義満に呼ばれたが、頼之は出家していて
官領職には弟・頼元を立て、自分は補佐役についた。
頼之は幼い頃、父に従い、夢窓疎石の教えを
受けていて、その影響を受け、出家したと思われる
   ・・・とのことです。

            

こちら に 細川頼之のことが詳しく載っています。

★この漢詩を読んだとき、満室の蒼蠅 掃えども・・・
 という言葉が好きになれなかったのですが、
 先生のお話を伺って、詩が作られた状況を知り、
 この詩に対する見方が変わったのを感じました。 




  【 日本の絶句 】
 寂室元光 の 『寒夜の即事』



 


スポンサーサイト



コメント

 詩吟もえ子

お稽古に参加して七年目です。
皆さまもご一緒にいかがですか?