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釈 絶海 の 『 雨後登楼 』

日本の絶句
04 /19 2017
絶句編テキスト

2017年4月19日 絶句編 29ページ  

   雨後登楼    釈 絶海
 
一天の 過雨 新秋を 洗う
友を 携えて 同じく 登る 江上の 楼 
写かんと 欲す 仲宣 千古の 恨
断烟 疎樹 愁に 堪えず
   
       うご とうろう   しゃく ぜっかい
     いってんの かう しんしゅうを あろう
     ともを たずさえて おなじく のぼる こうじょうの ろう
     のぞかんと ほっす ちゅうせん せんこの うらみ
     だんえん そじゅ うれいに たえず


テキストの通釈によると、
さっと通り雨が過ぎた後は、空一面洗われたように
晴れ渡って、初秋の気がすがすがしい。
そこで友人と連れ立って川辺の高楼にのぼり、
あたりを眺め渡した。
はるかな昔、かの王粲(おうさん)も楼に登って
心の憂さをさっぱり無くそうとしたように、
自分も同じ心の憂さを一洗したいと思ったのに、
見える限りはおちこちにかかる秋の霧、木々も
落葉して、枝もまばらなものさびしい景色ばかりで
何とも悲しい気持ちに耐えきれなくなってしまった。


先生のお話によると、
釈 絶海(1336~1405)は、南北朝時代から
室町時代にかけての禅僧であり、漢詩人である。
道号は 絶海、名は 中津(ちゅうしん)
土佐の豪族・津野氏の一族に生まれ、
13才で上洛し、天竜寺に入る。
2年後に剃髪し、夢窓疎石が亡くなるまで仕えた。
33才で中国・明に渡り、杭州の中(天)竺寺に入った後、
多くの高僧らに会い、9年間 修業し、帰国する。

 写かんと 欲す 仲宣 千古の 恨
 (のぞかんと ほっす ちゅうせん せんこの うらみ)


仲宣 とは、後漢・三国志時代の人 王粲 の 字。
    『登楼の賦』 を つくり、望郷の情を述べた。
写欲 とは、最古の詩の本である 『詩経』 泉水の詩
    『以って我が憂いを写く』 の 毛伝に
     『写は除くなり』 と ある。
千古恨 とは、遠い昔の王粲の無念な思い。
    長安の動乱が鎮定して平和な世となり、王道の
    政治のためにその才力を発揮しようとの念願も
    達せられず漂白すること十二年、むなしく他郷に
    あって人に寄食する現状を残念に思うことをいう。

足利義満の不興をかった時期があり、
その頃に作った詩であろうと言われている。
義満に追われ、隠棲していた 銭原の隠棲地。
そこから、細川頼之に招かれ、阿波に移り、
宝冠寺 を開山している。 70才没
    ・・・ とのことです。

            

義満に追われ、隠棲していた頃の様子の一端が
こちら で ご覧になれます。

茨木市のHP によると、絶海 は 茨木市銭原に
草庵を作り、二年間隠棲したということです。
 

 


  【 日本の絶句 】
 細川頼之 の 『 海 南 行 』



 


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コメント

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Re: 通釈のお礼

> 吟詠大会出場の為、通釈を拝見させてせて頂き、大変役立ちました。
> ありがとうございました。

ブログを読んで下さって、ありがとうございました♪

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