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釈 義堂 の 『花に対して旧を懐う 』

日本の絶句
04 /24 2017
絶句編テキスト

2017年4月24日 絶句編 27ページ  

   花に対して旧を懐う    釈 義堂
 
粉々たる 世事 乱れて 麻の 如し
旧恨 新愁 只 自ら 嗟く 
春夢 醒め来って 人 見えず
暮檐 雨は 洒ぐ 紫荊の 花
   
     はなにたいしてきゅうをおもう   しゃく ぎどう
     ふんぷんたる せいじ みだれて あさの ごとし
     きゅうこん しんしゅう ただ みずから なげく
     しゅんむ さめきたって ひと みえず
     ぼえん あめは そそぐ しけいの はな


テキストの通釈によると、
世の中のことは実にわずらわしく、
まるで乱れた麻の糸の様である。
その間に多くの知人を失い、昔のことを恨み、
近頃のことを愁い、ただ自ら嘆くのみである。
春のうたた寝の夢から醒めてみれば、
夢に見たそれらの人達の姿はなく、
夕暮れの軒端の雨が、寂しく紫荊の花に
滴っているだけである。 (今は南北朝対立の
悲しい時世であるが、なんとか両朝の合一が
成って天下も穏やかになり、旧友たちの死も
空しくなかったことに成りたいものである)


先生のお話によると、
釈 義堂(1325~1405)は、釈 絶海とともに
五山文学の双璧とも言われる禅僧である。
道号は 義堂、名は 周信(しゅうしん)
花が好きで花をテーマにした詩が多く、絵も得意。
絶海と同郷の土佐の生まれで、14才で剃髪。
最澄の流れをくむ天台宗(台密)を学ぶ。
台密には13宗があった。
ちなみに空海の流れをくむ真言宗(密教)を東密という。

夢窓疎石の門弟ともなっていたが、36才の時
鎌倉公方 足利基氏に招かれ鎌倉に行き、
基氏の子・氏満の教育係も務めた。
鎌倉では55才まで過ごし、
建仁寺や、南禅寺などの住職も務め、64才で没。

南北朝時代60年ほど、朝廷が南北に別れて
世事・社会や政治面で混乱を続けてきたことを憂え、
南北統一に苦労してきたが、それが実現したのは
義堂が亡くなって4年後、足利義満の時代であった。

世事とは、世間のこと。社会の出来事。政治上の問題など。
  せじ → せいじ   例:詩歌 しか → しいか

旧恨新愁 は、四文字熟語で、以前または
近頃 亡くなった知人に対する恨みや愁い。

中国に、二十四孝 があり、そのひとつ。
漢の時代に3人の兄弟がいて、親が死に財産を
分けることになり、木も3人で分けることにした。
すると、前日まで青々と茂っていた木が枯れてしまった。
3人が反省して分けるのを止めたら、また青く茂った
これが 紫荊の花で、花蘇芳 のことでもある
  ・・・ とのことです。

            

こちら に よると、
この漢詩は、三首の七言絶句で構成された「三部作」であり
其の一「春月催泪」の後に、二首の続きがあります。
作者は、禅僧の義堂周信(ぎどうしゅうしん)で
鎌倉殿(=鎌倉公方)の足利基氏(※尊氏の実子で直義の養子)の願いを受けて
「基氏の叔父で養父の直義に捧げる為に詠まれた漢詩」
     ・・・ とのことです。

また、こちら には、釈 義堂が
影響を受けたと思われる 杜甫 の 詩が載っています。




  【 日本の絶句 】
 釈 絶海 の 『 雨後登楼 』







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