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李 白 の 『 自ら遣る 』

中国の絶句
04 /28 2017
続絶句編 250  
 2017年4月28日 続絶句編 131ページ

  自ら 遣る   李 白
 酒に 対して 瞑を 覚えず 
 落花 我が 衣に 盈つ
 酔起して 渓月に 歩すれば
 鳥 還って 人も 亦 稀なり

    みずから やる    り はく
     さけに たいして めいを おぼえず
     らっか わが いに みつ
     すいきして けいげつに ほすれば
     とり かえって ひとも また まれなり


テキストの通釈によると、
酒と差し向かいで、ちびりちびりと飲んでいたら
時の経つのも忘れて、日の暮れたのにも気づかなかった。
花びらが風に吹かれて落ち、その花びらが、
私の衣いっぱいに盈ちていた。酔ったあと、
眠りから醒めて谷間の月とともに歩くと、
鳥はねぐらに還り、人影も稀であった。


先生のお話によると、
玄宗皇帝に追放された翌年、45才頃、山東省済州で作った。
伝え聞いて、杜甫や、高適、岑参などが慰めに来てくれ、
詩を作りあったり、酒を飲んだりした
     ・・・とのことです。

           
 
漢詩と中国文化 の 李白 によると、
◆傑作とされる李白の詩は四つの時期に分けられる。
 第一の時期は、李白が蜀を出て最初の放浪に出かける
            25才頃から42才頃まで。
 第二は、42才から44才頃まで、玄宗に仕えた長安の時代。
 第三は、長安を追われ再び放浪をした44才頃から56才頃まで。
 第四は、56才頃から62歳で死ぬまでの晩年の時期、とのこと。

李白が 『自ら遣る』を作ったのは、
第三期の初めということになります。

★また、こちら によると、
744年、長安を追われた李白は黄河を下って魯(山東)へと
向かった。その途中洛陽で杜甫と出会い、?州で高適と出会う。
意気投合した三人は共に河南に遊んだ。
そして翌年の春、李白は魯の石門で杜甫と別れ、
東魯の沙丘というところで結婚して家を持った。
これは李白の三度目の結婚であり、妻との間に
二人の子を設けている。後に「東魯の二稚子に寄す」
という詩の中で歌っている子どもたちは、
この結婚で生まれた子であると考えられる。
746年頃、李白は結婚生活もそこそこに、再び
放浪を始める
・・・ とのことで、李白は
定住の暮らしができない人だったのでしょうね。




  【 中国の絶句 】
 李 白 の 『独り敬亭山に坐す』 







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