FC2ブログ

李 白 の 『 天門山を望む 』

中国の絶句
05 /25 2017
続絶句編 250  
 2017年5月19日 続絶句編 133ページ

  天門山を望む   李 白
 天門 中断して 楚江 開く 
 碧水 東に 流れて 北に 向って 廻る
 両岸の 青山 相対して 出ず
 弧帆 一片 日辺より 来る

    てんもんざんを のぞむ
    り はく
     てんもん ちゅうだんして そこう ひらく
     へきすい ひがしに ながれて きたに むかって めぐる
     りょうがんの せいざん あいたいして いず
     こはん いっぺん にっぺんより きたる


テキストの通釈によると、
天門山は、真ん中で二つに断ち切られ、
その中を長江が流れている。
真っ青な水は東に流れていたが、
ここで、北に向って流れを変える。
両岸には青い山が向きあって突き出ているが、
その間を一つの白帆が、遥かかなたの
太陽の沈むあたりから流れてきた。


先生のお話によると、
天門山は、長江をはさんで、東の安徽省当塗県の博望山
     (東梁山・81m)と、西の和県の梁山(西梁山・65m)
     があり、この二つの山が丁度、門のように
     向い合っているので、総称して『天門山』という。
楚江は、長江をいう。(楚の国、現在の湖北省・湖南省・
     安徽省を流れる部分。この場合の湖は洞庭湖である)
日辺は、太陽のあたり。これは長安の縁語であり、
     都を懐かしむ情が暗示される。

李白が53才、宣州の長官・宇文の食客(753~755)で
         あった頃に作られた詩である。
         『 洞庭湖に遊ぶ 』 も 同時期に作られた。

晋の国の明帝は少年のころより賢かった。
長安から来た使者の前で、父親の元帝が、
『長安と太陽とどちらが遠いか?』とたずねられた。
明帝は『長安の方が近い。それは、まだ太陽から
来たという人を聞いたことがないから』と答えた。
次の日、群臣と宴を開いているところで、また同じこと
を聞かれると、明帝は『太陽の方が近い』と答えた。
父の元帝は『どうして前に言ったことと違うのか』と
たずねると、明帝は『頭を上げると太陽は見えるが、
長安は見えない』と答えた。元帝は、ますます
(自分の息子は)人並みではないと思ったという
故事から、日辺は長安の縁語になっている
        ・・・とのことです。

★長安を追われて10年近くも経っているのに、なお
 この詩には、李白の長安を懐かしむ気持が込められて
 いるとのこと。中国という広大な国土や、その距離、
 当時の交通の便などを考えると、現代の私たちには
 想像もつかない感情が込められているのかも・・・




  【 中国の絶句 】
 李 白 の 『洞庭湖に遊ぶ』 







スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

 詩吟もえ子

お稽古に参加して七年目です。
皆さまもご一緒にいかがですか?