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石川 丈山 の 『 富士山 』

日本の絶句
05 /30 2017
絶句編テキスト

2017年5月30日 絶句編 33ページ  

   富士山    石川 丈山
 
仙客 来り 遊ぶ 雲外の 巓
神竜 棲み老ゆ 洞中の 淵 
雪は 紈素の 如く 煙は 柄の 如し
白扇 倒しまに 懸る 東海の 天 
   
         ふじさん   いしかわ じょうざん
     せんかく きたり あそぶ うんがいの いただき
     しんりゅう すみおゆ どうちゅうの ふち
     ゆきは がんその ごとく けむりは えの ごとし
     はくせん さかしまに かかる とうかいの てん


テキストの通釈によると、
 仙人が来て遊んだという神聖な富士山の頂きは、
 雲を抜いて高く聳えている。
 また山頂にある洞窟の中の淵には、
 神竜が年久しく棲みついていると伝えられる。
 冬の頃、この雪山を下界から望めば、山頂から
 山裾まで純白の雪に覆われ、扇に見立てるならば、
 白絹を張った扇面にあたり、その上に
 立ち上る噴煙は、扇の柄にあたる。
 まるで東海の空に白扇がさかさまに懸かって
 いるようで、その雄大な眺めは、実に
 天下一の山の名に背かぬものである。


先生のお話によると、
石川丈山(1583~1672)は、江戸時代初期の漢詩人。
もとは三河生まれの武士で徳川家康に仕えていたが、
大阪夏の陣で軍営を脱して敵の首を二つ取ったが、
軍令に反したということで家康に職を解かれた。
浪人になって30才頃、妙心寺に入って隠棲、
林 羅山の勧めで藤原惺窩に師事し儒学を学ぶ。

文武ともに優れるようなった丈山は、仕官の誘いを
断っていたが、病弱となった母を養うために
和歌山の浅野家に仕官した。その後、浅野家が
安芸(広島)に転封になったため安芸に移り住んだ。
母の死去に伴い、官を辞し、54才で京に戻り、
相国寺の近くに睡竹堂をつくり隠棲し始めた。
59才で、比叡山西麓にある一乗寺村に
凹凸窠(詩仙堂)を建てて終の棲家と定めた。
中国の詩人から三十六詩仙を選んで、
肖像画を描かせて建物内に掲げていたため、
でこぼこの土地に建てられた住まいということで
命名された凹凸窠(おうとつか)は詩仙堂とも呼ばれた。
丈山は、90才で亡くなるまでここで過ごした。

            

仙客 : 国の象徴とも言うべき富士を仰ぎつつ、仙人の舞い遊ぶ姿を想像したもの。富士山は『竹取物語』のかぐや姫に見られるように不老不死の薬を焼いた山で、不死とか、不二とも書かれるようになった霊山であるため、仙人が来て幸福と寿命を授けてくれるとの思想から出たものと思われる。

神竜 : 神変霊妙な働きをする竜。竜や蛇に関する信仰は、諸外国に比べ、わが国や中国では、とりわけ深く厚いものがある。

紈素 : 白い生絹。白い扇面をいう。






  【 日本の絶句 】
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