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荻生徂徠 の 『豊公の旧宅に寄題す』

日本の絶句
06 /26 2017
絶句編テキスト

2017年6月26日 絶句編 36ページ  

   豊公の 旧宅に 寄題す    荻生 徂徠
 
海を 絶るの 楼船 大明を 震わす
寧んぞ 知らん 此の 地 柴荊を 長ぜんとは 
千山の 風雨 時々 悪く 
猶 作す 当年 叱咤の 声 
   
         ほうこうの きゅうたくに きだいす   おぎゅう そらい
     うみを わたるの ろうせん たいみんを ふるわす
     いずくんぞ しらん この ち さいけいを ちょうぜんとは
     せんざんの ふうう じじ あしく
     なお なす とうねん しったの こえ


テキストの通釈によると、
豊臣秀吉が朝鮮征伐のとき、大海を乗り切ってかの地に
押し寄せた軍船は、大国の大明をも震え恐れさせた。
その秀吉の居城も、さして年月を経ていない今日
荒れるにまかせ、雑木のみ生い茂るに至ろうとは、
だれが予想し得たであろうか。
この付近の山々には風雨が、すさまじい
唸りをあげて荒れ狂うことがあるが、
それはさながら、秀吉が大音声だいおんじょうをあげて
千軍万馬を叱咤しているかのように聞こえるのである。


先生のお話によると、
荻生徂徠(1666~1728)は、江戸時代中期の儒学者。
江戸で生まれたが、父が江戸から放逐され、
茂原市上総で学び、13年余独学して学問の基礎をつくった。
その後、父が許され、江戸に戻り、31才で、
将軍綱吉の側用人だった柳沢吉保につかえ、
川越に15人扶持を与えられた。
綱吉の死去とともに、吉保が失脚し、
44才で日本橋茅場町に私塾・蘐園けんえん塾を開いた。
56才の頃、紀州家から出た初めての将軍吉宗の
信任を得て、政治における助言者となった。
中国語にも堪能で、中国の古典を読み解く
古文辞学(蘐園学派)を確立した。63才没。

            

寄 題 : その地に行かないで題詠すること。
豊公旧宅 : 豊臣秀吉のもとの住まい。
     秀吉が亡くなった伏見桃山城だと思われる。
楼 船 : 上に櫓を設けた船。幾階にも作られた大きな船。
大 明 : 国号に大の尊称をつけたもの。
柴 荊 : ≪しば≫や≪いばら≫の雑木。




    【 日本の絶句 】
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