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伊藤東涯 の 『藤樹書院に過る』

日本の絶句
06 /29 2017
絶句編テキスト

2017年6月29日 絶句編 37ページ  

   藤樹書院に 過る    伊藤 東涯 
江西の 書院 名を 聞くこと 久し
五十年前 義方を 訓う
今日 始めて 来る 絃誦の 地
古藤 影は 掩う 旧茅堂 
   
   とうじゅしょいんに よぎる   いとう とうがい
こうせいの しょいん なを きくこと ひさし
ごじゅうねんぜん ぎほうを おしう
こんにち はじめて きたる げんしょうの ち
ことう かげは おおう きゅうぼうどう


テキストの通釈によると、
久しい以前から、自分も江西の地に残っている
『藤樹書院』の名は聞いていた。
その書院は今から50年ほど前に、近江聖人として
世間に評判の中江藤樹先生が、人の踏み行うべき
正しい道を教えさとされた所である。
ようやく望みが達し、今日初めて、その昔大勢の
弟子たちが詩書を誦読していた地に来て見れば、
世に名高い藤が、古木となって影を茂らせ、
当時のままの茅葺きの書院を覆って、
今も藤樹先生がそこに居られるかのようで、
まことに感慨無量であった。


先生のお話によると、
伊藤東涯(1670~1736)は、江戸時代中期の儒学者。
名は長胤ちょういん、字は源蔵。67才没。
伊藤仁斎の長男で、その私塾古義堂の2代目。
父や弟たちを支えて古義学の興隆の基礎を築き、
新井白石、荻生徂徠らとも親交が深かった。
東涯の号は、古義堂が京都堀川の東岸に在ったことに因む。

            

藤樹書院 : 中江藤樹(わが国における陽明学の祖)が
   その生地近江(滋賀県)の高島郡小川村で教化を垂れ、
   その跡が≪藤樹書院≫と呼ばれた。近江の西部に
   あるので≪江西書院≫とも呼ばれた。
五十年前 : 東涯がこの書院を訪れたのは1721年で
   藤樹の卒した1648年の73年の後であった。
   従って、≪五十年≫は大略の数である。
訓 義 方 : 子弟を教訓するのに正しい道をもってすること。
絃 誦 : ≪絃≫は絃歌。≪誦≫は誦読。
   中国古代において琴に合わせて書物を朗誦したので
   読書・学問のことをいう。




    【 日本の絶句 】
   荻生徂徠 の 『豊公の旧宅に寄題す』






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