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太宰春台 の 『 稲叢懐古 』

日本の絶句
06 /29 2017
絶句編テキスト

2017年6月29日 絶句編 38ページ  

    稲叢 懐古    太宰 春台 
沙汀 南望すれば 煙波 浩たり
聞くならく 三軍 此れより 過ぐと
潮水 帰来して 人事 改まり
空山 迢遞 夕陽 多し 
   
   いなむら かいこ   だざい しゅんだい
さてい なんぼうすれば えんぱ こうたり
きくならく さんぐん これより すぐと
ちょうすい きらいして じんじ あらたまり
くうざん ちょうてい せきよう おおし


テキストの通釈によると、
稲村が崎の砂浜からはるか南の方を見やれば、
広々とした波の上にもやが立ち込めている。
かの名将新田義貞はここから干潟を渡り、
大軍を率いて鎌倉に攻め入り北条高時を
滅したと、かねてより耳にしている。
いったん退いたここの海水が、またもとに帰り、
波は浜辺に打ち寄せているが、人の世のことは
すっかり昔と変わってしまっており、ただ人気のない
ものさびしい山が、いっぱいに照らす夕日を受けて、
遠く連なっているばかりである。


先生のお話によると、
太宰 春台(1680~1747)は、江戸時代中期の儒学者。
「春台」は号で、名は純、字は徳夫、通称は弥右衛門。
信州・飯田生まれ。平手家から太宰家の養子となり改姓。

江戸へ出て苦学し、学問を修め、15才で、但馬出石藩の
松平氏に仕え、17才で儒学者、中野撝謙に朱子学を学ぶ。
21才で官を辞し、10年余の間に漢詩・朱子学などを学び、
その後、荻生徂徠の門に入って古学・古文辞学へ転向した。
36才の時、小石川に塾を開き、多くの門人に教えた。

            

沙 汀 : 砂の波打ち際。砂浜。
煙 波 : もやのこもった波。
聞 説 : 聞くところによれば。聞き及ぶには。≪説≫は助字。
三 軍 : 大軍。周の軍制で一軍は12,500人。
   三軍は大諸侯の軍であるが、一般に大軍の意に用いる。
空 山 : 人のいないさびしい山。
迢 遞 : はるかに遠いさま。   

稲村が崎 は、鎌倉市の海岸で、七里ヶ浜と由比ヶ浜の
   間の岬で、鎌倉大仏様の辺りになる。この詩は、
   太平記に出てくる 北条氏最後の将軍北条高時が
   亡んだ400年余前のことを思い描いて作られた。




    【 日本の絶句 】
   伊藤東涯 の 『藤樹書院に過る』






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