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細井平洲 の 『親を夢む』

日本の絶句
07 /24 2017
絶句編テキスト

2017年7月24日 絶句編 41ページ  

    親を 夢む    細井 平洲 
 芳草 萋々として 日々 新たなり 
 人を 動かして 帰思 春に 勝えず
 郷関 此を 去る 三千里 
 昨夢 高堂 老親に 謁す
   
     おやを ゆめむ   ほそい へいしゅう
   ほうそう せいせいとして にちにち あらたなり
   ひとを うごかして きし はるに たえず
   きょうかん ここを さる さんぜんり
   さくむ こうどう ろうしんに えっす


テキストの通釈によると、
芳しい草が勢いよく伸び、その生長ぶりは
わずか一日でも目を見張るばかりで、
人の心を動かし、家に帰りたい気持がしきりに起って、
こののどかな春の日に、いても立っても居られない。
だが、その故郷はここから遠く、はるかに
隔たっていて、帰ることもできない。
しかし昨夜、夢で家に帰り、年老いた両親に
お目にかかったのである。夢ではあったが、
嬉しいことであった。それとともに
悲しい気持にもなったのである

   ・・・とのことです。

先生のお話によると、
細井 平洲(1728~1801)は、江戸時代中期の儒学者。
平洲は号で、本名は徳民。尾張国(愛知県)
知多半島平洲(ひらしま)村の農家に生まれた。
幼くして学問に励み、16歳のときに京都に遊学する。
故郷に帰って、尾張藩家老の子で、折衷学派の
中西淡淵(たんえん)が名古屋に開いた家塾
叢桂社(そうけいしゃ)のことを知り、入門する。
18才で、中西の薦めにより二年間位、
長崎に行き、中国語(華音・唐音)を学ぶ。
『親を夢む』は、この時に作った。

24才で、江戸へ出て、私塾・嚶鳴館(おうめいかん)を開き、
武士だけでなく、町民や農民にも、学問を広めた。
36才で、上杉治憲(後の鷹山)の師となり、後に
米沢藩主となった治憲を助け藩政を立て直した。
米沢藩の藩校・興譲館(こうじょうかん)は平洲が命名した。
53才で、尾張藩に招かれ、藩校・明倫館の学長になった。
明倫館は、現在の愛知県立明和高校である。
69才で、米沢に出向いた折、鷹山に出迎えられ、
身分制度を超えて旅の疲れをねぎらわれている。
74才、江戸の尾張藩邸で亡くなった。

細井平洲は、【學】【思】【行】の三つがそろって
学んだことになると説いている。
平洲村は、現在、東海市となっていて、
細井平洲は、地元で敬愛されている。

            

芳 草 : におやかな草。多く春の草にいう。
萋 々 : 草の茂ったさま。
郷 関 : ふるさと。くにもと。故郷に同じ。
高 堂 : もとは立派な家の意であるが、
   父母の住居を敬っていったもの
       ・・・とのことです。




    【 日本の絶句 】
   高野蘭亭 の 『月夜三叉口に舟を泛ぶ』






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